静かに最期を迎えるんだ… どんな覚悟で その言葉を口にしたのか。その後の医療行為(の受け方)を決めたのか。母との時間を思い越しながら、親の覚悟と困惑に付き添うことができたなら… それが今の思いです。
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そのとき私たちは自分の生命とどう向き合えるだろう
インフォームドコンセントを考えた記事の中でも綴ったように、がんを告知するかしないかという選択肢はもう過去のもの!? と思ってしまうほど、すんなりと “ステージで言えばいくつだからできるだけ早く手術しないといけないね…” と診断結果を聞かされたのも、がんが特別な病気ではなくなっていることの現れなのかも知れないとも思ったものでした。
もっと読む終活 - 人生100年というときの「定年」て?
たとえば85歳まで寿命があるとすれば、55歳で定年として余生が30年。今は人生100年⁇ を前提した生命保険なんていう製品が売り出されるようになっているようですが、65歳定年で寿命85歳として20年の余生。かなり強引な単純計算かも知れませんが、定年が10年延びることで、当然ながらその後の余生は10年短くなる。この10年の差は私たちの暮らしにどんな意味を持つだろうと考えたりするのです。
もっと読む終活 - 親子のつながりを思うところにも終活のきっかけがある
自分の身体にどんな遺伝子がどんなふうプログラムされ、埋め込まれているのか - それを思うとちょっと興味深く、同時に恐ろしいような気もします。なぜ遺伝という言葉がキーワードになったりするのか - 親から子への遺伝というものがどんな割り合いでどんなところに現れるのかといった仕組みが分かっているわけではないのですが・・・。
もっと読む終活! と構えずに、部屋のかたずけの延長のようにいかないものか
両親が残したもので手元に残せるものは写真やアルバムだけにして、その整理を少しずつ進めていこうとしているのですが、自分にはどんな宿題があったんだったかな⁈ と思いながらリストを見なおしながら…
そうした整理を日常生活と両立させることって意外とむずかしいなぁと思っています。
母のがん闘病で学んだ家族の気持ちの持ち方
今思えば、母のがん闘病はずいぶんたくさんの症状との戦いだったのだなと感じます。それも、大腸、腎臓、甲状腺をほぼ同時に発病し、最終的には十二指腸周辺への転移という経過をたどったのですから、無理からぬことでした。
もっと読む終活 - 私たちは両親との同居へ戻ることができるだろうか
両親を見送った経験からか、自分の将来 - 老後 - に妙に現実味を感じるようになっているのですが、みなさんもやはり、同じような感覚を持たれているものでしょうか?とある著書の中で、がん患者として終末期に向かう母に付き添ったときの記憶が甦るような記述に出会いました。
もっと読む終活 - 最後のときに向かうとしても
在宅医療とか在宅ケアという言葉を聞いたり見たりすることが日に日に増えていると感じながら、かかりつけのクリニックが地域でも有数の在宅看護、在宅緩和ケアの支援施設なのだと知って驚いています。
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