病院へ行きたくない - その一言をよく聞いてあげてください

両親の年代はみんな病院嫌い??

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医師に診てもらったらそれだけで安心だし、体も楽だろうに - 私たちはごく自然にそう発想すると思うのですが、私の両親などはなかなか うん とは言わない人たちでした。

私たちはともかくとして、私の両親って、どのくらいの歳の人たちだと思います?
もう”死語”と言うべきでしょうか?「昭和ひとけた」という言葉で年代を表すことがありましたが、その年代の人たちです。人生100年と言われるようになっていますが、昭和元年(1926年)が95年前のことですから、ずいぶん前のことですね。

そしてさらに、父は風邪を引いたり熱を出したりということ自体を嫌って、精神論でダメ出しをしたがる人でした。風邪を引く、それすなわち日頃の精神の緩みがなせる技だというわけです。
精神が緩んでいる… それって父親の世代には最大の ”ダメ出し” だったわけで、相手を否定するこれ以上ない表現だったわけですが…。

前の晩から熱が出てしまえば翌朝は寝床に起き上がることもできないということがあっても不思議はないのですが、家族にそうした病人が出ようものなら、朝から不機嫌でみんなが遠慮して話しかけないというありさま。そういう父親自身も入院するような病気をしたりもしていたのですよ^^;

母に至っては、仲間との旅行先で、それこそ起き上がることができず、あぶら汗をかくほどの強烈な腹痛に襲われたあげく、仲間に担がれ、付き添ってもらわなければ旅先から帰ってくることができないということがあったのですが、帰宅してみればもう痛みは引いたといって、病院で診てもらうことをがんとして拒否。

甲状腺ががんで肥大し、首の一部が変形していたときにも、ふだんはしないスカーフを巻いて隠して私たちに気づかれないようにしていたのですから、なんとも困ったものでした。

がんに負けないための準備はできるだろうか
(c) Can Stock Photo

なぜこれほど両親は病院へ行くことを嫌っていたのでしょう。
そう思いながら見回してみると、病院嫌いは私の両親に限ったことではなかったのだなという例が、けっこうあちこちにありますね。高齢の人たちにはありがちな傾向なのでしょうか?

両親に素直に病院に行ってもらう方法ってあるのでしょうか

「行きたくない」は誰でも同じ

ま、病院は行って楽しいという場所ではないし、誰にとっても二の足を踏んでも不思議はないだろうとは思います。まして、「悪いかも知れないから診てもらう」という話しだったりすれば尚更ですね。

両親の抵抗を経験した今になって、同じような、あるいはもっと頑張っちゃっている親御さんの話しを耳にするたびに思うのは、抵抗している両親の気持ちを私たち子どもは分かっていたかな? ということ。

「素直に診察を受けてくれれば本人も安心、楽になるのだから」 - 私たち子どもは、その思いを押し付けていないだろうかと思うのです。
そうです、親のことを考えてという気持ちに嘘はないでしょう。でも - ちょっと厳しすぎるかも知れませんが - 「安心する」のは自分、そして「楽になるはずと思いたい」、それは子どもの側の思いなのではないかなと感じたりもするのです。

だからと言って、「無理強いはやめなさい」と言おうとは思いません。ではなく、自分が安心したいから、言葉を変えて無理をもとめていないかなと自分を振り返る優しさをまず伝えてあげてください、と思うのです。

抵抗その1 - 「医者に診てもらっても何も変わらない」 or 「病院に行くとかえって具合が悪くなる」
治療と回復に必要なものは
(c) Can Stock Photo

もしそんなふうに抵抗しているとすれば、私たち子どもが知らない医師とのやり取りや経験がある場合があるのです。
- そんなことはなかったかな? と聞いてあげてください。

自分の体が自分の思うようにならない、そのいら立ちや辛さを訴え、まずは話しを聞いてもらいたいと思っているのに「年が年だからしようがないんですよ」の一言で済まされ、「とりあえずいつもの薬を出しておきますから・・」で話しが終わってしまうことがおおいとすれば? 「医者に診てもらっても意味がない、何も変わらない」と言いたくもなるでしょう。

「痛かったら言ってくださいね」と言われれば誰だって緊張して、血圧も脈拍もあがるでしょう。そのあげく本当に痛いことをされ、「もう少しだから」と治療が続けば「悪くなるだけだ」と拒否したくもなるでしょう。

抵抗その2 -「別にどこも悪いとこはない」

もしそんな言葉が出ているとすれば、それこそ、誰にも共通する不安や恐怖があるはずなのです。
- その本当の思いを聞き出してあげてください。

私もこれまで、健康診断でいくつもの「要再検査」、「要精密検査」をもらっています。肝臓、腎臓、前立腺。消化器科、眼科、脳神経外科などなど、あらためて挙げてみると「俺って大丈夫か?」と心配になりそうなほどです。

どの検査も軽い気持ちで行けたものはありません。症状や診断結果、その良いも悪いも具体的にイメージしきれないから楽観もできず悲観もしきれない、何とも中途半端な、重い方の気分が強かったものばかりです。それでも、放っておいていいことはないだろう、そう思い切って受診した再検査ばかりです。

かえって思っているより悪い結果が出たらどうすればいいだろう - その不安は
もし、検査が長引いたり、入院というようなことになってしまえば、自分で対応しきれるのだろうか - その不安は経済的なものはもちろん、子どもたちに迷惑をかけることになるのじゃないのか・・・そんな不安をいっしょに巻き上げるのです。

不安は言葉にならないし、はっきりと意識できないから不安なのです。

自分の体に不安はないのか、病院に不安があるのか

本当に親の体を思って病院へ連れて行きたい、診察を受けてもらいたいと思ったとすれば、その気持ちをそのまま伝えるようにしてはどうでしょう。

“なだめすかす” という言葉がありますが、親の抵抗の内容によってはいい意味で、客観的に情報を与えてあげるのは悪いことではないでしょう。

診察してもらわないことのメリット & デメリット をしっかり伝えてあげるのです。メリットだけ、デメリットだけではだめですね。”おだてる脅す” というのはさらにのちのちのデメリットになります。
診察を受けないとこんなふうに困ったことになることもある というデメリットは、たぶんいくらでも出てくるでしょう。それだけに、診察を受ければこんないい面もある というメリットとセットで示してあげられるのが理想だろうと思います。

そして何より、“自分(私)のために診察を受けてもらえないだろうか” という正直さが一番大切だろうと思うのです。

私の場合、両親とのやり取りの結果は、それでも「嫌だ!!」だったのですね。
父の場合はせん妄が発症していて私はうまく気持ちを伝えられなかったのです。母からの言葉はおだやかに聞いてくれていましたから、それが頼りでした。

母の場合は、私自身が母に対するインフォームド・コンセントを学ばなければ、ということに気づかれたのです。つまり、病院に行くか行かないか - 極端に言えば、そのまま病状を悪化させてしまうかどうかは本人が決めること - その最大のデメリットと向き合うことになったのです。

それでも、診察を受けてほしいと望むのか - それは母のためになるのかどうか - そんな私自身への問いかけです。

病院へは行きたくない。
それは誰にとっても同じ気持ちから出ている言葉 - そんな優しさを忘れないでほしいのです。

私たちこそ、インフォームド・コンセントをしっかり学ばないと

相手への思いやりを忘れないでいたい…
そう語っている私は、「何が何でも病院に連れて行こう!」「医者に診てもらわなければ!!」と私たち自身が緊張してはいけないと感じているのです。

「子どもに負担はかけない」とか、「お前たちに迷惑はかけない」とかという言葉がありますが、両親と言わず、肉親だからこそ何か悪いことがあったときにはまず、助け合えないかと考えることはできないでしょうか。

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「迷惑」とか「余計なこと」だから、親が自分に黙っていた… と後になって聞かされたとして、「当然だ」と思う子どもがいるのでしょうか?

母のケースがそうだったように、病院へ行っても行かなくても、起きることは起きますし、何もなければ何も起こらないと思うのです。

そんなに簡単なことじゃない! ということも分かっています。
けれどだからこそ、「子どもに迷惑をかけられない」という親の側の怖れに、「医者に診てもらわなけば!!」という子どもの側の緊張をつないでしまってはいけないように思うのです。

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