同じ時間を過ごす
静かに最期を迎えるんだ…
どんな覚悟で その言葉を口にしたのか。その後の医療行為(の受け方)を決めたのか…
連れ合いを亡くしたあとに人工透析なしでは最期が容易に予測できると診断さえた義母 -
人工透析も治療のひとつ。人工透析自体が万全の、絶対の保証があるものでないことは分かっている。
- 治療には副作用が避けられないこと
- 治療を自分ひとりで受け続けることができないことも
分かっている。しかも、その治療で、たとえ10年の延命ができたとしても、自分の高齢を考えればその延命にどれほどの価値があるのか多寡は知れている。
そう言って、人工透析は受けず、このまま自分の体の状態を受け入れる道を選んだのです。
一方、私の母の場合はどうだったか - 一番の問題は父でした。
母ががんの宣告を受ける前、大腿骨骨折とその手術を終えていた父でしたが、リハビリには超消極的で、自分のからだを自分で守るという意識や意欲はまったくと言っていいほどない状態だったからです。
そうした父の健康状態に気を取られてはいても、母の思いは、自分の最期(の迎え方)に行っているように見えたのでした。
- 手のほどこしようがないと分かったとしたら、命を長らえるだけの延命など望まない
- 病院で検査や診察を受けると言うことは、直す・生きる・延命することにつながっていようとすることなんだ
だから、病院や医師の支援なしでは生きられない命ならば、その命に意味は見いだせない。
そう言って、がんに移行する危険があると診断されたところで通院をやめてしまったのです。
昭和初期の人の人生観
昭和初期の生まれの義母と母。
顔を合わせてゆっくり話しをしたのは、私と妻の結婚式のときと、がん闘病の中にいた母を義母が見舞ってくれたときくらいのものでしたが、自分の命 に対する判断はとてもよく似ているなと感じます。
何より、切なさを感じてしまう二人の価値観は、家族にさえ世話になるわけにはいかない… 自分のために手間をかけさせてはいけない… と思っているかのようなかたくなさと、律儀さです。
立ち止まっているとしても、親のための一歩を確かめたいから
母がどうだったかを思い出そうとしたり、
義母がどんな思いでいるのかと思いを巡らせるのは、
私自身が、後ろを振り返っているわけではないのです。
たとえ、はっきりした覚悟があったわけではなかった… こういう現実が待っているとは思わなかったという後悔があったとしても責めようなどと思ってはいません。
今をどんなふうに過ごせれば満足に、心静かにいられるのかを分かりたい、
自分にできることが何かあるはずだという思いに答えがほしくて、
今を選んだときの母は… 義母はどんな思いだったろうかと考えることがあるのです。
子どもとしての私たちの独りよがりになってはいけない。自分たちの思いで親を縛ってはいけないと分かっているつもりです。でもだからこそ、本当に親のためになることはないのだろうかと思っているのです。
「覚悟」と、その覚悟の落としどころ
静かに最期を迎える。そのために、治療はしない -
そう言っていた言葉をひるがえして手術(治療)に踏み込んだ母は、私の知らないところで - 友人や知人たちの前で、治療の辛さに涙を流していたことがあると聞かされました。
「辛い」とは、妹たちの向かってさえ、言葉にすることはなかったのです。
治療に踏み込んだ以上、その先には回復があるはずと信じていたのに、「回復=治療の終わり」ではなく、「治療の終わり=余命宣告」だったのですから、母は思いのままにならない現実に翻弄されていたと言うしかありません。
文字通り、手のほどこしようがないという意味の余命宣告だったのですから。
余命宣告を受けながらも、人工透析(治療)を受けないことを選んだ義母もまた、
腎不全が原因になる高カリウム血症、高血圧、心不全・肺水腫、貧血などなど…
大好きな野菜やくだものを控えてカリウムの過剰摂取を抑えようとする努力が、
静かに、そして私たち子どもの負担を少しでも軽くして最期を迎えたい… と思っているであろう義母の思いの実現につながってくれるように… とただただ祈る以外にない、そんな気持ちになります。
腎不全がどんな合併症につながるか… それを理解し、ちゃんとサポートしてやりたい。しかも、
あれもこれも、私たち子どもにまかせればいいのにと思うようなことも自分でやろうとする姿を見ていれば、見守ることの意味を考えないではいられません。
もう病院での治療は受けられない。今日か、明日か、あるいは1か月かという状態で終末ケアの施設への転院をした母は、その直前、自分のからだがどうなっているのか分かりたいと言って私との時間を過ごしたことがありました。
あるがままを説明しようとする私の言葉をまっすぐに受けとめようとしていた母ですが、胸の中には言葉にしない思いがたくさんあったような気がするのです。
そんな記憶があるだけに、義母の思うような一日一日を過ごさせてやれたらと思うのです。
あと何日あるのか…
そんな怖れ・疑問の中で過ごした経験が私たち自身を支えてくれるでしょう。
そんな怖れ・疑問の中で義母の気持ちがはりつめたり揺れたりしても、きっと支えることができると思うのです。