終活 - 親子のつながりを思うところにも終活のきっかけがある

ささやかな思い出の中で自分の心と身体、健康や年齢を考える

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親子はどこまで似ているか

自分の身体にどんな遺伝子がどんなふうプログラムされ、埋め込まれているのか - それを思うとちょっと興味深く、同時に恐ろしいような気もします。

なぜ遺伝という言葉がキーワードになったりするのか - 親から子への遺伝というものがどんな割り合いでどんなところに現れるのかといった仕組みが分かっているわけではないのですが・・・。

健康診断の問診票に 「家族・親族の中にがんにかかった人がいますか?」 「糖尿病にかかった人がいますか?」 などという質問があったりすものですから、問診の対象になっている病気は遺伝の可能性があるのじゃないのかと勝手に解釈してしまっている。それがひとつの要素かも知れません。

そして、そのちょっとショートしていそうな理解に共鳴しているのが、自分の父親のことです。晩年、リウマチを病んで介護認定をもらっていた父親を思い出して、自分にも似たような体質があるのだろうかと感じることがあるのです。

「膠原病やその症状は原因や治療法を特定することがとてもむずかしく、症状も色々な形で現れるのです」 というような説明が、付き添った診察で聞かされた時のまま断片として頭の片隅に残っている、それも関係があるのかも知れません。

はたしてどこまでが遺伝を意識すべき話題なのでしょうか。

半端? な知識や断片的な情報をつなぎ合せて、そのことで取り越し苦労しているような気がするだけに、そうした知識や情報はしっかりと確認し、整理しておかなければいけないだろと思うのですが、そういう “取り扱い注意” な認識や父親をめぐる記憶は自分の終活を考えるきっかけになるかも知れないとも思うことがあります。

家の中のバリアフリーをデザインする
(c) Can Stock Photo

家の中でも車椅子を使えたら本人は楽だったかも知れないと思う - そのつながりで、自分が住んでいる家はどれくらいバリアフリー化ができるものだろうか、車椅子で暮らせるものだろうかと想像してみたり。

家の中で車椅子を使えたとしたら身体を動かす意欲はもっと萎えたしまっていたろうと思う - そのつながりで、年齢に必要と言われるだけの運動をこなす体力、気力が自分にあるだろうか - 生活筋力という言葉があるように、自分の体力は普段の生活に必要な力を出せているのだろうかと振り返ってみたりするのです。

身近にある情報の数々

こうしたシミュレーションは少し突き詰めてみると、たとえば、介護保険がどういうものだったかと実感をもって確認できることがあります。たとえば・・・

  1. バリアフリー化のための工事費用の9割を最高20万円(支給額18万円)を上限として介護保険から助成してもらうことができます。
  2. しかし、介護保険から助成してもらうということは、要支援・要介護者として認定されていることが前提です。
  3. つまり、自分のための改修工事だとしても、介護保険を利用しようとするときの自分は要介護認定を受けている状態ですから、その申請や問い合わせ、契約といった手続きを自分だけではできなくなっているかも知れない・・・

そんなことが分かってきます。

遺伝についての理解にどこか曖昧なところがあるように、介護についての知識も “ちょっとあやしい” ということがないようにしたいものですが、関連する情報は身近に、十分すぎるほどたくさんあるものだと思うのです。

介護の現実に向き合うためにも

両親の晩年を見ていた頃の記憶をたどってみると、自分の身の回りのことは自分でする - そのあたりまえに思えることを実現するには、心身のバランスが保たれていなければいけないのだと気づいたのは、かなり後になってのことだったように感じます。

手本になるか、反面教師になるかという違いはあるのだろうと思いますが、いずれにしても自分の親が身近な例であることは間違いはないでしょう。そこに遺伝のイメージを重ねると、自分にとっては頼れる支えになってくれたり、強い警告になったりするでしょう。

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大腿骨を骨折したあとのリハビリは傷の痛みも手伝って怖かったのかも知れないと想像する - そのつながりで、傷の痛みや人工関節の違和感があるとしても、転倒して大腿骨を損傷してしまうほどの高齢になったからこそ身体を動かす勇気や素直さを持っていたいと願ったり。

手術を乗り越えた喜びを無にしないためにも頑張ってリハビリに取り組んでほしいと母親は願っていたのだろうと想像する - そのつながりで、身体は心とセットで考えなくてはいけない、たとえば、リウマチという身体の病だけを取り上げて思いを巡らしているのはちょっと違う。傷や病に見舞われた身体を心はどう受け止めようとするが大切なのだと思ったり。

親子という切り口で身体とか健康、あるいは病気を考えることが、もし、自分の健康を見直したり、将来を考えたりすることに役立つことがあるとしたら、時々は父親や母親のことを思い出してみたいと感じます。

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