がん切除の手術を受けた家族に寄り添う
今思えば、母のがん闘病はずいぶんたくさんの症状との戦いだったのだなと感じます。それも、大腸、腎臓、甲状腺をほぼ同時に発病し、最終的には十二指腸周辺への転移という経過をたどったのですから、無理からぬことでした。
甲状腺切除のあとの苦労
特に、大腸、腎臓という腹部のがんと甲状腺という五感に近い場所のがんに同時に見舞われたというのはずいぶん辛いことだったろうと思います。大腸がんの手術のあとは傷の回復が順調なのであれば食事や栄養の指導を受けながらゆっくり体力を維持、あるいは回復させることに専念すればいいだろうと思っていました。
ところが、大腸、腎臓の術後の経過、体力の回復を待って、甲状腺をすべて摘出するという手術も受けたのです。甲状腺がんが気管に食い込んでいましたから、気管の一部を切り取るようにして患部を切除しました。そして、首の左側を走るリンパ節の郭清(かくせい)を同時に受けたのでした。
この甲状腺の術後が母本人にとっては本当に大変でした。首の皮膚と気管を貫通する穴が開いた状態で半年、その穴をふさぐ回復手術を受けるまでの間を過ごさなくてはならなかったのです。気管の穴は自然にふさがるものではありません、耳から軟骨を切り取って、その軟骨を使って埋め、その上で首の穴をふさぐのです。
甲状腺がん切除のあとの苦労は食事
食べもの、飲み物を飲み込むと時、気管にある弁が誤飲を防ぐように働いてくれています。そしてその時、気管の中が一定の気圧になっていることが必要なのですね。
ところがその頃の母ののどには、食道と気管が分かれるのと近い場所に術後の穴が貫通していていましたから、気管の中の気圧が維持できません。少しずつと慎重にやってみても飲み込むタイミングがつかめず、見ているこちらが心配になるほどむせるということを何度も繰り返さざるを得ませんでした。
固形物よりも水分、水分よりも水分を含んだ柔らかいものと飲み込むのがむずかしくなる。普通は飲み物といっしょの方が飲み込みやすいことが多いのですが、母の場合はそれが一番できないこと - しかも、食事すること自体が怖くなってしまいそうにむずかしいことだったのです。
そして発声
母ののどに開いた手術の穴は声帯よりも上でしたから声帯そのものが損なわれることはなかったのですが、甲状腺を切除する、しかも気管の一部をいっしょにというレベルの手術で左の反回神経を切らざるを得なかったのです。
反回神経は声帯を動かす神経ですから、これを失えば声が出せなくなります。その半分を失い、首に穴が開いた状態で母は声を出すこともほとんどできなくなりました。
家族も母本人も、甲状腺の手術にまつわる入院の頃から、私が買い求めた小さなホワイトボードを使っての筆談にだいぶなれてきていましたから、それが母の声を出そうとする意欲を削いでしまっていたという面もあったかも知れません。病院で発声方法や練習の仕方をアドバイスしてもらっても、自分から積極的に声を出そうとすることはあまりありませんでした。
そしてこわばり
食事のむずかしさもそうですが、母を一番苦しめたのは首と顔の左半分を襲う強いこわばり感でした。
ひざやひじなどを擦りむいたりした時のことを思い出していただければ想像できるのではないかと思うのですが、かさぶたができると周囲の皮膚がひっぱられるようなつっぱり感を覚えることがありますが、あの感じのようなものではないかと思います。リンパ切除のあと、首に走った10cmほどの縫い傷を中心に首と顔の左半分が強くこわばるような感じと、のどを締めつけられような感じがして夜もほとんど安眠ができないということを訴え続けたのでした。
この不快感を和らげることはできないものかと主治医に訴え相談しましたが、よくある症状で簡単に治すような方法も薬もないのだというのがそのたびの答えでした。
少しずつ少しずつ進む回復だけを頼りにそうした症状を6か月ほども抱えて過ごしたわけですが、今思えば、こういう時こそ、セカンドオピニオンを求めるべきだったのかも知れません。
食事の仕方にもなれ、声もそれなりに出せるようなったのは、体力の回復を待って受けた手術で気管と首の穴をふさいでもらってから2か月ほど経ったころ。甲状腺の摘出手術からおよそ8か月あとでした。
その時、私たち家族は
「治すんだ」という前向きな気持ちで手術を選んだ本人も、「しっかり付き添わなければ」と覚悟を決めていたはずの家族も、何度も気持ちが折れてしまいそうなショックを感じたのがこの甲状腺の手術でした。
術式の説明で反回神経を損なう恐れがある、それは説明を受けていました。がんの浸潤の状況によって気管を切らなければならない恐れがあることも、リンパ節を切除することになる可能性が高いことも、さらには麻酔の危険、輸血が必要になるかもしれない恐れがあることも、何より、手術自体が100%保障されたものではないということも説明を受けていました。
麻酔の危険も輸血の必要もなく手術自体は成功したのですが、想定していた一番悪いパターンの組み合わせで手術は進むことになったのです。
術後の食事が大変な場合がある、逃げようがないこわばり感、しめつけ感で眠れないことになるかも知れない - そのふたつは「やってみないと分からない」という部類に入るものでした。その苦しさに、母本人は手術したことを後悔する気持ちになることもあったといいます。
特に、自分が感じる苦しみで私たち子どもに心配させる、付き添う苦労をさせる - それも気持ちの上のむずかしさだったように思います。
私たち家族はどうしたか。
母の苦痛によく耳を傾けて、時には母が眠りつけるまで肩や背中をさすって過ごし、必要だとなれば何度も病院へ行ったり相談したりをくり返しました。
がんという病気が気力だけで立ち向かえるものではないということを感じながら、母には気持ちがしっかりしていればちゃんと乗り越えられるからと話し、今はゆっくり眠れるように工夫しようと話したり、よく眠れたら天気を選んで庭に植える花を買いに行こうと誘ったり - いつもの母と過ごすような時間を過ごせるようにと努めることで精一杯でした。
母のがん闘病の中で感じたのは、いつもどおりの自分でいることの大切さだったのです。