終活 - 私たちは両親との同居へ戻ることができるだろうか

なぜ親との同居ができないのか

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両親を見送った経験からか、自分の将来 - 老後 - に妙に現実味を感じるようになっているのですが、みなさんもやはり、同じような感覚を持たれているものでしょうか?

とある著書の中で、がん患者として終末期に向かう母に付き添ったときの記憶が甦るような記述に出会いました。

まず、夫婦がそろっているうちは、夫婦ふたりで暮らす。片方が要介護になれば、夫婦のあいだで老老介護をする。そして、どちらか片方に先立たれたら、子ども世帯と中途同居をはじめる。

80代で配偶者を看とった親なら、子どものほうも50代を超えており、たいがいは親元を離れて暮らしている。だから子どもとの同居を選べば、親のほうは済みなれた家や土地を離れて、子どもの住むところへ移住することになる。

この年齢では、子世代はまだ現役だから、仕事のある土地を離れるわけにいかない。同居するのが息子夫婦なら、すでに子育てを終えた嫁は堂々たる一家の主婦だから、”家風”に従わなければならないのは、嫁ではなくあとから入った姑のほうだ。

なじみとつきあいを失い、見知らぬ土地に適応を強いられ、他人の家風に従い、場合によっては要介護の”やっかい者”として扱われる高齢者の暮らしが、幸せなはずがない。

上野千鶴子 著、おひとりさまの老後 より

親子が一緒に住むには
(c) Can Stock Photo
私の経験

母よりも10歳年上だった私の父は重度のリウマチを病んで要介護3。75歳を超えていた母による老老介護の途中、大腿骨骨折から寝たきりになった父は間もなく肺炎を病んで他界。父の葬儀を待ってがん切除の手術に踏み切った母の、実家での生活をどう支えるか、支えることができるのかが私にとって最大の難題でした。

ふたりの妹を持つ私は3人兄妹。がんセンターへの通院と普段の食事を中心とした生活もひとりではできなくなっていた母は、母の住む実家からほどない所に住んでいる私のすぐ下の妹を頼り、妹の家族の理解に包まれて過ごすことができたのでした。

その後、第2、第3の手術を受ける中で妹の負担を軽減しなくてはと考えた私は、通いの介助生活から、会社の理解と協力を得て、私一人が家族を離れて実家で仕事をつづけながら付き添う生活をしたのでした。

私たち家族はこの著書に言う「(親は)80代前後の年齢で、子どもたちはみな親元を離れており」「(子どもたちは)現役として、仕事のある土地を離れるわけにいかない」という条件そのままの家族構成だったのです。

互いに同居を嫌っていたわけではないにも関わらず、同居することをむずかしいと感じていたのですが、そこには親子によく似た(共通と言ってもよい)感覚があったのです。

1つ目は:
互いの嗜好や生活サイクル、ペースを合わせることが同居するということであり、ペースを合わせるという努力は「し続けなければならないもの」で、そういつまでも続けられるものではあるまいという認識です。
それが「迷惑をかける」という意識になり、共通の認識にもなっているのです。つまりは、同居=迷惑をかける・ストレスをかけてしまうことという共通の認識です。

2つ目は:
「現役として、仕事のある土地を離れるわけにいかない」という子どもたちの側の都合。それは主に経済的な都合でした。

特定の条件の中で介護休暇を取ることができたとしても、介護+がん治療・通院・入院という条件をクリアするには普段の生活費のほかの費用をねん出しなければなりません。介護休暇を取るということは、その間の収入がなくなることを意味していますから、子どもにとっては難題です。

MEMO:
労働者は連続する3ヶ月間を限度として、要介護状態にある家族ひとりにつき1回、介護休業することが育児・介護休業法で認められています。ただし、休業中の給料は原則として支払われません。
一方、雇用保険から介護休業給付金が所定の条件、所定の率で支払われるということも覚えておく必要があるでしょう。

当時の後期高齢者医療制度の中では母が支払う検査や手術にかかる医療費は驚くほど小額に減額してもらうことができていました。しかし、間接的な医療費やそれ以外のもの(寝間着やタオル、おむつなど)はとりあえずも、実費がかかります。

だから、何より経済的な問題が子どもにとっての最大の課題なのです。私のように、週の何日かを実家で過ごす変形の同居方式を取ろうとすれば、子どもにとっては交通費をはじめ二重生活状態になりますから、場合によっては、親を支えるという本来の目的が稀薄になりかねません

がん治療のような緊急性がない状況で同居を考えようとすれば、親と子、それぞれが暮らす家をひとつにまとめる - 要するにいずれか一方が住まいを整理して引っ越すということになりますから、影響を受ける人数が少ない親の側にしわ寄せがいくことは明らかです。

心情的なむずかしさ、経済的な課題、その2つが同居のための大きなハザード(障害)になってしまう - そのことに頷ける状況の人は少なくないように思います。

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自分たちで求めて進めてきた複数世代がひとつ屋根の下で暮らす大家族から核家族への流れ - 核家族が生活の標準的な単位なのだとすると、この著書で語られている老後 - 特に配偶者を看取ったあとの暮らしは幸せ感が薄いというのは避けようのない現実なのだろうと感じます。

親子で同居、あるいは二世帯住居のような形ででもごく近隣に住まいすることができているとすれば、同居しているからこそのメリットを中心に暮らし続けられるようにと祈るばかりです。それほど私たちは、かつてはあたり前だった同居へ戻ることができなくなっていると思うのです。

To be continued…

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