ブログを書く動機 - インターネットが教えてくれるもの

ブログの世界で学べるもの

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マロリーが「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Because it’s there. )」と答えたという逸話は有名であるが・・・

出典: ジョージ・マロリー – Wikipedia

このジョージ・マロリーの言葉はきっと誰もがどこかで聞いたことがあるのではないかと思いますが、それほど純粋な動機、シンプルなエネルギーがあれば、ブログはきっと書くことの楽しみを大きく大きく広げてくれることだろうと思います。

「書きたいから書くというような、直観的なエネルギーに動かされているというよりは、ブログを書くことの意味とか、自分はどんなことを書きたいと思っているのだろうかと考えているようなところがある」とお話ししたように、どこか屈折した? 楽しみ方をしている私も、言葉があり、文字を並べる環境がある今のPCやモバイルデバイス、インターネットとの距離感を楽しんでいる感覚があるように感じます。書き続けるエネルギーとか、モチベーションの先、そのエネルギーを形にしたい、そんな気持ちがあるようには思います。

どこへ向かって、何を書きたいと思っているのか -
楽しみあれこれと題して色々のテーマで記事を書いていますが、その私が、ブログを書きはじめたモチベーションがどこから来ているのかと問われたとすれば、日本語という言葉に対するこだわりのようなものだというのが答えのひとつになるように思います。そのこだわりのようなものは、はたして自分は日本語らしい日本語、通じる日本語が書けているのだろうかというような思いで、ひとえに翻訳という仕事に取り組むところから出ていたように思います(なぜブログを書くようになったのか、そのきっかけは少し別のところにあったのですが)。

自分が書いている日本語は日本語らしいのか、分かる日本語なのか、それを確認するためにネットワークの世界にいて、ブログを書いている - なんだかよく分からない話しだと言われそうですね。

翻訳はよりニュートラルな発想で書き & ブログはより主観的に書きたい?

インターネットを流れる情報
(c) Can Stock Photo

ネットワークやブログの世界で使われている言葉・情報が日本語のすべてだと思っているわけではありませんし、私自身の中にある言葉や感覚が中心であるべきだなどと思っているわけではありませんが、ネットワークやブログの世界で使われている言葉、情報はとても特徴的で、普段の仕事で求められている言葉 - 日本語 - と同じでないと強く感じています。

どちらが良いとか悪いとかではありません。言葉自体が生きているものだと思っていますから。その違いが、私に、こんな言い回しの方が分かりやすい、この言葉にはこんな意味もあるのだ・・・と、色々なアドバイスを与えてくれているのです。

そうした言葉自体の違いのほかにもう一つ。ネットワークにあふれる言葉・情報には、一度に膨大な量で、見極めることさえできないほどの速さを流れているという性質があって、私の感覚の中の言葉には、行間、文字間をたどって、文字ひとつの意味や込められた心情をさぐった学生時代の現代国語の授業での時間のような静止感があるのです。

思い切った言い方をすれば、話し言葉と書き言葉のような違いと言えば良いでしょうか。

私が相手にしているのは主にドイツ語、英語のオリジナル(原稿)ですが、原文が、誰に何を伝えようとしているのかを正確に理解し、日本側の業界・分野の常識や言葉を基盤として、誤解なく原文の意味を伝えることのできる日本語書く、それが翻訳の使命だろうと考えてきました。それは今でも大きく変わることはないように思います。その感覚は文字どおり書き言葉の感覚で、速度はあきらかに静止するほどゆっくりと、止まっていると思うほど緩やかです。

ネットワーク、ブログの世界に触れることで、その遅すぎるほどに緩やかな書き言葉としての言葉、表現を探っている - そう言えば分ってもらえるでしょうか。

緩やかな書き言葉
(c) Can Stock Photo

何を目的にブログを書くのか -
その答えを求めたくなるのは、書き言葉で記録するものとしてブログを捉えているからではないかと感じます。

そこにはパーソナルブログとパブリックネットワーク (personal blog & public network) というような感覚があって、公共の環境を使わせてもらって個人レベルの書く、伝えるというモチベーションを実現させてもらっている以上、私にできる公共性、社会性 - 何らか役立ててもらえるブログ活動にならないものだろうかと感じたりしているのです。

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私はウェブの技術やブログについてのアドバイス、情報を求めて数多い先輩ブロガーのみなさんが書かれている記事を読ませていただいていますが、納得ができる情報を提供してくれているサイト、ページほどその公共性とか社会性を感じさせてくれるからです。

はたして、話し言葉 - 口から出ればそこで消えてしまう言葉、スピーディに、アクティブに情報をシェアしてくれる言葉 - として捉えたら、どんなブログになるのだろう・・・と、そんなことを考えているのです。

もっと素直に言うならば、仕事に求められるプレッシャーを抜きにして、伝えるということを楽しみたい、それがブログを書き続けようとする私の動機なのだろうと思います。

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