人工知能(AI)に夢を重ねるとしたら

人工知能(AI)の今を理解したい

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この著書の 「近い将来なくなる職業と残る職業」と題した章の中で著者の松尾氏は

オックスフォード大学の論文で提示された「あと10~20年でなくなる職業と残る職業のリスト」

を紹介してくれています。
そのリストをひとつの参考情報としながら、

短期から長期にかけての、人の仕事の移り変わりを予想してみよう

という内容です。

5年以内の短期、5年から15年の範囲の中期、さらに15年以上先の長期に分けて人工知能の発展との関係をベースにした考察が示されています。

敵か 味方か

なくなる職業残る職業というのはおだやかに聞くには少々ショッキングな話題という気がするのですが、反面、そうした将来の人工知能の発展した姿、そして人間の仕事の様子というものを見てみたいようにも思います。

特に、私は産業翻訳の分野に関わってきた人間で、PCやOSの発展に乗って、より早く・より正確に・より安価にと仕事の精度を高めたり、あるいは自分の知らない方法を使った実績を見せられたりという経験をしてきただけにそんなことを考えるのではないかと思います。そうしたこれまでの取り組みの中で、この著書『人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)』で語られている、当時の “自動翻訳” を学んだり、使ってみたりした経験もあります。当時の技術との連動・コラボレーションを目指して、自らプログラムに取り組んだこともありますので、そのころの自動翻訳の実力や問題点も経験しているのです。自分たちの業務にどういかすことができるか、そのためにどれほどの予算を見込まなくてはならないかといった報告書を作成したほどでしたから。

当時はまだ人工知能(AI)とか機械学習という(あるいはそれに類する)認識を持って “自動翻訳” を見てはいませんでした。翻訳の精度という面から見れば、自動翻訳といわれる処理の結果はとても翻訳といえるレベルのものではないとして、自動翻訳という言葉が機械翻訳という言葉 - あくまで機械によるもので人の手による仕上げがなければ使えないという意味の言葉 - に置き換えられる経緯も見ていました。

語学力と作文力をAIに任せられるか
(c) Can Stock Photo

その当時の感覚からすれば、いきなりなくなる職業残る職業というレベルにまで話しが及ぶようになったのだなと思うのですが、その章の終わり近く、予測できる人工知能の将来という表現で私が抱いてきた自動翻訳の姿につながると思わせる話しも語られています。曰く、

さらに忘れてならないのが、人間と機械の協調である。

(中略)

人間とコンピュータの協調により、人間の創造性や能力がさらに引き出されることになるかもしれない。そうした社会では、生産性が非常に上がり、労働時間が短くなるために、人間の「生き方」や「尊厳」、多様な価値観がますます重要視されるようになるのではないだろうか。

価値観 - 時代の要請 - はどこにあるか

翻訳という仕事には語感というものが必要不可欠だと私は思っています。それは、

  • 言語としての原文を読解する力
    • 著者の意図を理解するための洞察力・想像力
    • 原文を支える文化への理解
  • 言語としての訳文を作文する力
    • 読者の理解を設計・想定できる洞察力・想像力
    • 訳文を支える文化への理解・思いやり、そして
    • 原文と訳文の文化の違いを訳文に反映する想像力・創作性

といった要素がからみあってできあがっているという考え方です。

原文を文法的に分解し、訳文として文法的に組み立てれば、大意は把握できる。
ところが、読む意欲を維持できるか、読んで面白いと思える文章になるか - 判読性はどうか - という話しになると少々意味が違ってくるのです。それが今時代の翻訳に求められる品質と言えると思うのです。

そこに人工知能による自動翻訳の到達点を置こうとすれば、やはりまだとてつもない時間がかかるのだろうと思わせますし、コンピューターにはできないというかつての言葉が繰り返されることになる恐れもあるように思います。

それでも業界の一員としての私には、人工知能と人間の協調による仕事が実績を残してくれることが夢なのです

私が考えている「翻訳に必要な “語感”」が一朝一夕に成るものではないと感じているからかも知れません。私はこの “語感” を、

  • 原文・訳文を言語として扱う語学力 と
  • 読み・書くことを支える作文力(これを私は文化力と呼んでいるのですが)

2つの力に分けることができると思っているのですが、このうちの語学力の部分を人工知能が担ってくれるようにならないだろうか・・・と思っているのです。それが私とっての夢 - 人工知能と人間の協調 - です。

私たちの現実が人工知能への夢になる?

一方で、今求められている翻訳の品質も不要になりつつあるという感覚もあります。「書く」、あるいは「読む」という行為自体の意味合いが変わっていると思うのです。今の産業翻訳で言う 「分野」 や翻訳しようとする原文のタイプ - 文芸、科学、経済、時事、あるいはプレスリリースのような記事か個人のブログかというような違い - によって、その意味合いの変化は異なるかもしれませんが、インターネットを中心とした文章(=翻訳)の必要性はやはり、On Demand(必要なときに必要なだけ)でしょう。

つまり、よりタイムリーに伝えようとする情報(文章)は簡潔さが求められる傾向が強くなるでしょうから、”ニュアンス” とか “比喩” といった込み入った、ある意味味わいのある文章はさらに噛み砕いた分かりやすいものへと置き換えられるようになるのではないかと思うのです。要するに機械化・自動化がしやすいものになるということ。

語学力+作文力(理解力・表現力と言ってもいいのですが)=語感 だとすれば、語学力の比重が高くなるということです。

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文章を必要とする世界がインターネットにさらに近づき、翻訳の技術が機械化に近づくことができるとしたら、特定分野の特定テキストについては自動翻訳が完成しないだろうか - その夢見る感覚の裏には、「近い将来なくなる職業と残る職業」で語られているような、近未来を先取りして考えながら今の翻訳の付加価値を探りたい、そんな思いが働いているのです。

みなさんにはそんな感覚、ありませんか?

To be continued…

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