効率化の中で失ったもの - プロ意識の空洞化

「プロ」という言葉や意識はなくなってしまったのだろうか

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長年、翻訳という、ひとつの言語の文章をもうひとつの言語の文章に置き換えるという仕事に携わりながら、文字にと言う形の情報発信の形がどんなふうに変わってきているのか、どんな言葉や文章が求められているのだろうかと考えてきているのですが、その中で最近もうひとつ感じていることがあります。

それは、品物を買って下さるお客さんの意識、要望というものについてです。

場所と立場が変われば、この私も品物やサービスをお金を出して買う立場になることがあるわけですが、翻訳という製品は言ってみれば形や色、重さも手触りも香りもない、そのままでは確かめようのないものです。それを製品としてお金を出して買って下さるというのはずいぶん勇気がいることに違いないと思うのです。

トライアルと称して、試しの文章を翻訳させてみて、その文章を読んでみて仕事をさせるかどうかを決めるという手順もあります。レストランであればショーケースにサンプルが並べられ、メニューには実際にお皿にのせて出してもらえるであろう食事の写真も見ることができます。自動車であればショールームで触ったり試乗させてもらったりと、製品を確かめることができる。ですから、翻訳においても、その試乗にあたるトライアルのような方法で製品となる文章を確かめてもらうことが正しい手順なのだろうと個人的には思っています。

ただ、翻訳者を選ぶ方法というのは、そうした直接対話的な確認ではなく、紹介だけで事前に翻訳担当が決まっているというケースもあります。私が翻訳やお客さんとの関係で感じることがあると言っているのは、そうした間接的な組み合わせでお客さんと翻訳する担当が出会う場合を言っています。

要約してしまえば、翻訳もその他のサービス業と同じように、顧客満足のために何をなすべきかをしっかり学びとるべきであり、100%の満足を感じてもらうために120%奉仕するのだと言われるサービス精神に徹せよ、ということになるようにも感じるのですが、時間(納期)と予算(見積もり)とのせめぎ合いの中で、はたしてどこまでそうしたサービスの神髄に迫ることができているのだろうと思うことが多いのです。

実はこの思いは私のいる業界に限ったものではなく、職人気質を良しとし、より良いものを届けたいというこだわりを持っている現場の人たちには共通の思いではなかろうかと感じることも多いのです。

長引いている景気低迷の水底に沈んだまま浮き上がることができないもの - 形や色、重さも手触りも香りもない、そのままでは確かめようのない翻訳を作る現場でさえ、収益性・効率性重視という圧力に押され、ややもすると何が品質か、何がサービスなのかが希薄になりかけることがあるように思うのです。

I love you. という言葉をどう訳すのが正しいか。それは男性の言葉なのか、女性の言葉なのか。語られている場面 - 時間やその言葉が語られるまでのやり取りや、周囲の状況など、ありとあらゆる情報がそろって初めて決まるものです。産業翻訳においてもその本質は変わらないはずですが、産業翻訳というサービスが始まってから今日まで、経った時間の長さもあるからでしょうか、いつの間にか「できてあたり前」、「これはもう聞いて確認するようなレベルのものではない」と言われる事柄が存在しています。

確かに、「ふぐちり」と注文されて何を出せばよいか迷っているようでは商売になりません。けれどふぐを調理するのに必要な手順をできていてあたり前とは言っても、効率化のためと言って、その手順を短縮したり割愛したりできるでしょうか? それに良く似た、意識や技術の足りない様子を、私はサービス業におけるプロ意識の空洞化といます。

届けたい、伝えたい言葉を探して
(c) Can Stock Photo

I love you.

この例にもう一度戻ってみると、男性の言葉だとした場合も、「ぼく」「オレ」「わし」「わて」・・・と、自分を表す日本語はずいぶんたくさんあります。その主語の選び次第で、文章全体から伝わってくるものはまったく違ったものになりますね。翻訳を製品として買って下さるお客さんの意識、要望と言ったのがそうしたできあがりに対する注文のことです。

日本語をりんごに置き換えてみると、同じりんごでも「ぼく」は「ジョナゴールド」、「オレ」は「つがる」、「わし」は「ふじ」と言うことができるでしょうか。みな味わいが違いますね。

翻訳の場合、りんごならなんでもいいということはないのです。ちょうど、りんごの皮を剥くまえに、味を確認しようとするようなものです。いかに厄介な仕事か想像してもらえるでしょうか。

翻訳する者はその厄介さに、誇りとプロ意識をかけて仕事するのです。「ぼく」と書くのが良いか、「僕」とすべきか。それだけでまじめな大人しい雰囲気になりそうだがそれでよいか・・・と言葉と文章、雰囲気をデザインするのです。

産業翻訳には「ぼく」も「わたし」も出てくることはまずありません。これはあくまで例えです。時間を削っても、材料を削ったとしても、削るわけにはいかない伝えるべき情報というものがあるのです。

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私はインターネットの高速性にこだわっていますが、その速度に追いつこうとするあまり、伝えるべき情報が何なのかが分からないまま仕事をしていないか自覚しておきたいと思っているからです。右から左に言葉を対応させていけば、できない翻訳はない - そんな面があるのも事実です。けれどそうした置き換えをやってみても、I love you. は「私は愛するあなたを」と日本語によく似た日本語でないものしかできません。

以前紹介したように、私お気に入りのアプリ Google翻訳も「わたしは、あなたを愛しています」と訳してくれます。男性の言葉か、女性の言葉か、Google翻訳にはそれを訳しわけることができるでしょうか。音声入力で男性が語りかけた時、女性が語りかけた時、Google翻訳はきっと今、その訳し分けをしようと研究を積んでいるのではないかと思うのです。

さて、私たち人間が書く言葉はどんな雰囲気を伝えることができるでしょうか?

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