仕事を頑張るのは 何のため?

課題に取り組むからこそのスランプ!?

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言葉の良し悪し、伝わる伝わらないを問題にするような仕事に就くもんじゃないなと思う反面、なぜか、こうすればもっといい表現になるのじゃないか、たぶんこういう言い方もできるのじゃないだろうか•••と次を考えてしまう。

諦めが悪いというのか? 粘り強いというのか? 自分でもよく分からないなと思いながら、いったい何年やっているだろうと思ったりしているのが、今の翻訳という仕事。

仕事の方ではなくて、私の取り組み方というか、感性というか、そちらに問題があるのかも知れないとも思うのですが、自分が目指したいと思う仕事のレベル現実にできること、できていることの間にギャップを感じたとき、どんな解決法を持っていますか?

can't you see what need
(c) Can Stock Photo / andreykuzmin

仕事というものは仕事としてある程度しっかりと割り切って、そこに自分の主観をさし挟まない取り組み方が正しいようにも感じますが、たとえば、

組織としての必要 と 顧客の利益

なんてものを考慮しながら、取るべき対処を選択しなければならないとしたら、諦めが悪いとは言っていられず、答えを出すまで - その答えが正解だという結果を得るまで途中で投げ出すことはできないのだろうと思います。しかも、積んできた経験と知識を総動員して、解決策を探そうとするでしょう。

もちろん、そのとき取り組みのモチベーションやエネルギーを支え、回答を導き出す力は自分の判断 - 人任せではないという意味の主観 - だろうと思います。

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その判断にダメ出しされるとしたら - あまり深く考えずに 次! と切り替えることがモチベーションとエネルギー、そしてさらに良い結果を出せるようになるための秘訣なのかも知れません。

私のしつこさ? とか粘り強さ? と言えそうなものは、もしかすると、達成感を求めてのことなのかも知れませんし、ほかに自分を表現したり、満足を得られるものがないのか? なんて突っ込まれる前に、うまい切り替え方を見つける方が良いかも知れません^^;

仕事に感じるやりがいという話と、仕事に何を求めるかという話 - この2つはどちらも1人ひとりの個人の問題のように感じますが、達成感ややりがいなど、その話しはもう少しゆっくり考えてみましょう。

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