『サクラ花』 が語りかけるもの - 戦後70年もすでに過ぎて

受けとめ、見つめ直すということ

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2016年1月27日、九州は鹿児島で、今はアメリカ国籍となっているゼロ戦の1機が72年ぶりに日本の空を飛んだというニュースが新聞各社のサイトで紹介されました。ご覧になったでしょうか。その時の動画も紹介されており、これがゼロ戦のエンジン音なんだなと思いながらそれぞれの記事を読み、動画を見ました。ゼロ戦が生まれ、生きていた時代の背景や息吹のようなものは知る由もなく、ただ機体とその性能だけが残されている - そんなことを感じながら。

 

東京は渋谷にあるユーロライブという劇場で上映された『サクラ花 – 桜花最期の特攻 –』という映画を見たのは、2015年12月5日のこと。ゼロ戦とは好対照に、先の大戦の終戦近くになって投入された兵器の物語です。

桜花という言葉、どんなものにつけられた名前だったかご存知でしょうか?
この映画には、戦後70周年と言われる今年、70年前の日本のひとつのシーンを知り、今の私たちの世界を見つめるためのメッセージが込められています。

 

映画 『サクラ花 – 桜花最期の特攻 –』 は、かつての日本海軍が開発した兵器 “桜花” をめぐる物語。キャストは俳優の緒形直人、大和田健介、そのほか噺家の林家三平をはじめ、語りは役所広司が演じています(敬称略)。

 

そのパンフレット、ノンフィクション作家の小林照幸氏が寄せた寄稿の中にこんな言葉があります。

批判や疑問を呈するのは容易だ。しかし、「なぜ、当時、それをしなければならなかったのか?」と史実に向き合い、当時の人々の気持ちを思いやるのは、現代に生きる私たちにとって必要な責務であるはずだ。
本作品の意義はそこにある。

確かに、スクリーンに映し出される物語はあまりに苛烈で強烈な印象となって残りますが、それでもなおその衝撃に負けず、この映画を離れ、この映画に描かれた物語の真実がどこにあるかと見定めなくてはいけないのではないか - そんな視線を持つことが必要ではないかと感じたものを今でも覚えています。

小林氏の寄稿につけられた見出しに表されているように

「戦争を知らない世代」が「戦争を知らない世代」に伝える

物語 - 史実 - なのだとしたら、なおさら、それに触れた私たちは松村監督の描かれたものでさえ、その衝撃に飲み込まれてしまってはいけないと感じたのです。

私個人は平和しか知らず、平和の中に暮らしてきたと思っているのですが、それと同時に、どこまでいってもこうした物語を実感を持って受け止めることはできないと思うのです。

こうした物語に触れて「戦争は起こしてはならない」と覚えたとしても、その時そのために何ができるのか、何をすべきなのかが分からないということになってしまわないか - そんな危うさが自分の中にあるのではないかと思うのです。

平和しか知らず、平和の中に暮らしている私たちが交わす話しは、観念的なもの以上のものにならなければいけないはずなのだが・・・そのためには、反対側にある戦争などというものを経験しないと語ることはできないのだろうかと自分を危ぶんでいます。

だからこそ、小林氏が言われるように、この映画に描かれているものの形や色に囚われたままにならず、必要ならばその正確な形や色を確認し合って、その先を考えることが大切なのではないかと思うのです。

それが、「戦争を知らない世代」が「戦争を知らない世代」に伝えるべきだと、松村監督が考えられた理由なのかも知れないとも思います。

 

断片をつなぎ合わせて見えるもの

私の父も10代の終わりに志願兵として予科練の一人として戦争に参加し、この映画の舞台となった一式陸上攻撃機の乗員として訓練を受けた人でした。

自分の仲間が離陸したあと、時間をおいて、入れ違いのようにしてやってくるアメリカの攻撃機に破壊される滑走路。自分たちの仲間が帰還した時着陸できるようにと破壊された滑走路を補修する毎日の中で、訓練を重ねながら出撃命令を待ったと言います。

そうした父を親に持った私でさえ、(父の部隊の)上官と一兵卒の間はどんな関係だったか、海軍バットや鉄拳制裁と呼ばれるものがどんなものだったか、落下傘訓練がどのように行われていたか、機銃の扱い方をどのように訓練したのか - わずかな断片として、話しとして聞いたことがあるにすぎません。

“桜花”、あるいは”回天”の存在ともなれば、父親自身、それをはっきりと知ることができたのは、終戦を挟んだ頃になってからだったと言います。その父がかろうじて語ってくれたのは「ひとりでは止められるものではない。そもそも止められるものではなくなっていた」という言葉でした。

 

知っておかなければいけないことを知らないまま来てしまっていないか - そんな私の気持ちも、父が他界した今となっては、もう確かめるどころか知ることさえできません。20歳になっていなかった父が、志願してまで軍隊に行こうとしたのはなぜだったのかも、両親や国というものにどんな気持ちをもっていたのかも… 。
戦後70周年とはもう、そんな次元の年だったのです。

 

示されたひとつのヒント

上映のあと、舞台挨拶に立たれた松村克弥監督は、

戦後70周年と言われる今年は、一方で、節目としては最後になるのではないかと言われています。80周年を迎えるときには、今以上に戦中を知り、話しを聞かせてくれる方には出会うことさえむずかしくなってしまっているのではないか - そう考えた時、多くを知られていない桜花を今語るべきではないかと考えました。

という意味合いの話しをしておられました。

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私が感じてきた、背中に隙間風を感じる感覚 - もしかすると松村監督も通じるものを感じられているのかも知れない。一石を投じると言う言葉がありますが、松村監督もそうした感覚を揺り動かすための一石を投じておられる - そう感じています。

 

 

 

映画_サクラ花_を見て

この映画は、いわゆる映画配給のためのラインに乗った作品ではありません。もしご覧になりたいと思われるときには、上映の場所や予定、料金も含め、専用のホームページでご確認ください。
サクラ花 - 桜花最後の特攻 -

パンフレットの画像、ホームページへのリンクは許可を得て記載しています。

 

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