ゆく年くる年を祝う優しい文化 ー 年賀状

そもそも年賀状はフォーマルなもの?

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年賀状は、「時間」と「暦」の歴史をルーツにして生まれて、「文字」と「紙」、そして書状を相手に届けてくれる通信 (郵便) の歴史に乗って育ってきたものだったとか。

日本の歴史に重ねてみると平安時代が終わる頃 (1100年前後) には、年賀状を交わす習慣があったらしいといいます。そして、今の私たちが持っている「年賀状」のもとになっている官製はがきが発行されたのが1873年 (明治6年) といいますから、はがきの形になる前の年賀状の歴史は700年以上、800年前後もあったのですね。

そんな昔の年賀状はいったいどんなものだったでしょうか。

 

年賀状の季節になると発行される専用ソフトのための画像やテンプレートをセットにした年賀状のための雑誌。その中には、フォーマルとかカジュアルとか呼ばれる、送り先の相手の方に合わせて使い分けられるよう、デザインが分けられているものがありますね。

近しい人に送る年賀状、お世話になった目上の人や同僚の人に送る年賀状 - その違いがあるから、あのフォーマルとかカジュアルのデザインの違いがあるはずですが、たとえば、「賀正」や「迎春」という言葉 (賀詞と言いますね) は目上の人が目下の人に向かって使う言葉だから、会社の上司宛に出す年賀状には使ってはいけない・・・などという作法をご存知ですか? 意識して使いわけておられますか?

賀詞の意味や使い方をどの程度分かっているか、私自身のそうした知識 - もしかしたら常識と言うべきなのかも知れませんね^^; - にはちょっとあやしいものがあります。それこそ、使い慣れない、意味がよく分かっていない言葉は使わない方がいいと言われそうなので、しっかり勉強してからにしようと思っていた方がいいかも知れません。

謹賀新年は「謹んで新年のお慶びを申し上げます」という送る相手を敬う表現なんだと小学生の頃に教わりました。ただ、「賀正」と「謹賀新年」はどう違うのか、「あけましておめでとうございます」とどう違うのかまでは教わらず、自分で確認したのはずいぶん大人になってからだったという記憶があります。

 

年賀状で使う言葉はちょっとむずかしいと言えるかも知れません。相手と使う場所を選ぶ - つまりは年賀状そのものが TPO (Time, Place, Occasion) を意識するべきフォーマルなものだったからなのだろうと思います。

新しい年を迎える歓びを分かち合う
(c) Can Stock Photo

 

年賀状という文化の優しさを忘れずに

以前は墨と筆だけで書いていた年賀状は、パソコンと専用ソフト、そしてプリンターを使って短時間に印刷することができるようになりました。ちょっと気の利いたデザインときれいな文字の年賀状が簡単、短時間にできますし、相手に合わせた一言を手書きで添えれば現代風の? オリジナリティを活かした年賀状ができあがります。

お互いが健康で一年を過ごし、新しい年を迎えることができる幸せを慶び合う - その年賀状本来の優しさがあれば、賀詞もデザインエレメントのひとつとして使ってもいいのではないかと感じます。それほどに年賀状の世界での言葉の意味や伝え方、つまりは年賀状という文化そのものが変わってきていると思うからです。

 

逆の言い方をすれば、もし、賀詞の本来の意味や使い方にこだわるとすれば、年賀状本来の意味にもこだわりたいと思うのです。礼儀や作法を大切にするとすれば、その心を置き去りにしたのでは意味がありません。

私には子どもの頃、「あけましておめでとうございます」よりちょっと大人っぽい表現だなと思って覚えたての「謹賀新年」を使っていた記憶がありますが、今ではその「謹賀新年」には、私なりに肌に染みた語感があります。どんな気持ちを伝える言葉なのかという理解と感覚がひとつになった感覚です。

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そしてその語感といっしょに、年賀状で伝える想いを大事にしたいと感じるのです。

 

eメールやLINEで新年の挨拶を伝え合う - それは年賀状とは言わないという言い方もできるでしょうが、私たちは多様化の文化を自分たちで作ってきています。

年賀状は形や文字でなくて、そこに伝えようとする気持ちをまず大切にしなくてはいけない - そんなふうに、互いの多様性、さまざまな年賀状を受け止めてみたいと思います。そうやって受け止めてみて、ああこの言葉はこう使うのが本来なんだという学びも生まれてくると思うのです。

 

 

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