終活 - “おひとりさま” の意味が分かってきた

「一人暮らし」は「孤独死」とイコールではないと思うけれど

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仕事はじめを過ごしたばかりのタイミングで母方の伯父の訃報にふれることになったのは、2019年1月のこと。

しかも、知らせを受けてみると、かつて読んだ上野千鶴子さんの「おひとりさまの最期」でさえ、ゆるやかに感じられそうな内容で、「おひとりさま」の意味をあらためて考えています。

著書「おひとりさまの最期」のカバーには帯がかけられていて、そこに「在宅ひとり死」という言葉が印刷されています。この「在宅ひとり死」という言葉をはじめて目にしたときは、そのままでは受け入れるのがむずかしいと感じたものでしたが、特に父が亡くなったあとの母の暮らし方や私たち子どもからの働きかけへの反応を見ていて、「おひとりさま」という言葉の意味を確かめるような感じがしたものでした。

この著書「おひとりさまの最期」に語られている多くのケースは、医療や看護、あるいは介護にまつわるあれこれ - そして、肉親の家族からはなれたひとり住まいのおひとりさまでも、ちゃんと最期を迎えられるんだという内容だったと言っていいように思います。

そして何より -
本人のからだや健康がどんな状態にあったとしても、遠くに近くに、複数の支えてくれる人たち - 病院の先生だったり看護師だったり、もしかするとケアマネージャーだったり、介護サービスに来てくれる介護スタッフだったり - と何らかのつながりがあるのが医療や看護であり、介護 - そんなイメージを持たせてくれる著書だったような気がします。

もちろん語られているのは “おひとりさまの逝き方” のようなものですから、最初はずいぶん重く感じる話題ばかりですが、だからこそ私には、支えてくれる人たちにはこんな人がいることを知ろう・そうした人たちとこんなふうにつながるんだ、と教えてくれているように感じるのです。

要するに、「おひとりさま」の暮らしには、そんな支えてくれる人たちとの毎日のつながりこそ大切だと思える内容だったのです。

ひとり住まいの色々

伯父の最期はいわゆる「孤独死」でした。
警察からの連絡を間接的に聞かさるまで子どもの方は知らなかったということを聞くと、伯父は、結婚して自宅からそう遠くないところに住んでいた子どもたちの生活に立ち入る人ではなかったことが分かります。

伯父の暮らしは文字通り、「今」という時間を共有する人がいない “ひとり住まい” でした。とてもたくさんの友人を持っている人懐っこい人でしたが、プライベートを知る人・語って聞かせる人もほとんどいなかったのです。

母も “おひとりさま” だったけれど…

私たちの母のことを思い出してみると…
私は母にモバイル機能を持った湯沸しポットを使ってもらい、半分、母の暮らしとつながっているつもりになっていました。水を入れ換えてお湯を沸かし換えたり、お茶を入れたりした回数を設定した間隔で手もとの携帯にプッシュ通信で知らせてくれる製品を買ったのです。

また、当時のことですからガラケータイプでしたが、母は携帯電話を持ち歩ける人でしたので、ワンタッチボタンに私や兄妹たちの電話番号を登録しておいて、必要なときにすぐに電話できるようにしていましたから、半分は安心できていたような気がします。

子どもの側の勝手な独りよがりだったようにも思いますが、プッシュ通信のメッセージでお茶を入れていたらしいということが分かるだけでも、気持ちは母の方を向いていられたからです。

母が懇意にしていた民生委員をしているご近所さんが毎日のように声をかけてくれていたのも、母はもちろん私にも大きな支えでした。

そうまでしてひとりでいたいものなのか⁈ ひとりでいなければならないものなのか … その答えは上野さんの「おひとりさまの最期」に綴られている通りです。

私が知らなかった “おひとりさま” のもう一つの形

ただ、「おひとりさまの最期」からさして時間が経っていないにもかかわらず、「おひとりさま」に求められるものが変化するしている… そして、年金生活を営むような高齢者には、その変化に対応するために必要な経済力や社会力が足りないと感じます。

「おひとりさまの最期」に語られているのが人びととのつながり方だったとすると、伯父のケースはそのつながり方の密度をあえて高めようとしなかったケースのように感じます。現役を引退し、「毎日が日曜日」と笑ってはときおり仲間と連れ立ってカラオケに興じるような年金生活者だった - ということは、ひとりでいられる… ひとりになってしまう人だったということなのです。

ケアママネージャーの定期的な働きかけもいらない - 介護認定を受けていなかった - 人でしたし、母のように、民生委員とのつながりも持たない人でした。ケアサービスを利用しようとしてケアマネージャーとのつながりを持てば、自分から働きかけないとしてもケアマネージャーとの定期的なコミュニケーションを求められるようになります。

後遺症が残らないとは言え、伯父はごく軽い脳梗塞を病んで、血液に関する薬の処方を受けたりしていました。ですから、ケアマネージャーから関連するアドバイスがあったかも知れないと想像できます。

伯父は享年77。
その年はもしかすると、ひとつの区切りをつけることができた年齢だったと言えるかも知れません。

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しかし、人生100年と言われる今の時代の感覚からすると「まだ早かったんじゃないのかな」とさえ感じます。まして、警察からの連絡で知らされるというのは、子どもたち送る側にとっては、いかに互いにマイペースに暮らしていたとしてもショックが大きいですから。

伯父も口にしていた「子どもたちに迷惑はかけられない」という言葉の意味を、自分にあてはめてよく考えてみなくてはいけないと思うのです。

to be continued …

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