母のがん闘病で学んだ薬とせん妄の関係

痛みを抑えるための薬で発症したせん妄

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健康を取り戻す、あるいは病気を取り除くために必要だと判断された手術を受ける、手術のために必要な麻酔を処方してもらう - そうした医療の助けを借りるとしても、手術ゆえの、あるいは麻酔ゆえの危険がある。そこで、手術を受けるにあたっては、医師や麻酔医から手術の必要性や手術・麻酔に伴う危険や考えられる後遺症などの説明を受け、手術・麻酔を受けることへの同意書を読み、サインをするという手続きが取られます。

そうした手続きは多くの人が経験しているだろうと思うのですが、説明される内容の多くが生命の危険や後遺症などより深刻なものに集中しているのだなと思われたことはありませんか?

深刻な懸念を確認しておく - それはごく当然のことだろうと思いますが、ある程度起こることが想定の範囲内だと判断されているからでしょうか、説明に含まれておらず、私たち家族も想像さえしなかった形で術後せん妄という診断を受ける症状ががんの切除手術を受けた母に現れたのでした。

治療と回復に必要なものは
(c) Can Stock Photo
大腸がん+腎臓がん切除、そして退院

その時、母が受けた手術は大腸(上行結腸・横行結腸・下行結腸)と右腎臓の同時切除。消化器腫瘍科、泌尿器腫瘍科両方の先生の連携作業で8時間を超える手術でした。

主治医の説明は:
「通常であれば大腸の手術は体の前面(腹部側)から、腎臓の手術は前面から側面へかけてメスを入れるものだが、患者の年齢と今のがんの進行度合いを考え合わせると、2つの手術を別々に行うには期間がかかり、がん治療そのものが複雑になる上に体への負担も大きくなる。そのため、2つのがん切除を1回の手術で終わらせることが必要。
大腸の患部を切除し必要な接合処置を終えたあとそのまま、腹膜を突破するようにしてその後ろにある右腎臓を切除してしまいたい」

その事前の計画、説明通り手術自体は成功し、母の体もその負担に耐えてくれたのですが、せん妄は、手術のあと、経緯観察と退院へ向けての治療とともに発症したのです。

手術が大がかりなものだっただけに、その後の安静を図るためにも痛みを止めるための鎮痛剤は欠かせないものだったと思います。痛みを抑える薬、つまりはモルヒネです。

母のせん妄の症状は、術後とは思えない躁状態、あるいは看護師に対する攻撃的な言動となって現れました。
この薬がなくてももう自分は大丈夫だと言っては点滴の針を自分で抜いてしまったり、定期的な検温に来てくれる看護師の態度が自分を見下していると声を荒げて文句を言ってみたりです。

最初その話しを、私たちは見舞いに行った折、看護師から聞かされたのですが、「ご家族にお知らせするほどの状態ではなかったので」という説明だったのです。父の時のように、拘束されているということはありませんでした。

私は、人格が変わってしまい別人のように感じているのに想定の範囲内、それほど異常なことではない- そこにとても大きなギャップを感じたのですが、兄妹もショックを受けていました。

手術を受けてから退院、自宅療養に及ぶおよそ2ヶ月以上の期間、せん妄の症状が抜け切るのに時間がかかりました。そしてその間、母本人は自分の二重人格のような症状を自覚し、自分で自分を制御できないということを苦しく感じ、またさりとて、そんな症状が出ている時のその前のことの記憶が曖昧になっているということに強い不安を感じていました。少しずつ回復している正常なときに母本人が話してくれたことです。

MEMO:
モルヒネ=せん妄ではありません。誤解のないようにお願いします。モルヒネによって確かに意識障害が出ることはあると思います。母の最晩年、終末期の緩和ケアで受けた痛み止めのモルヒネで眠りつづけ、目が覚めてもほとんど意思の疎通ができないときがありましたから。ただ、この時の母の症状は薬に対するアレルギーと同じように、体質や体力とのバランスによって、たまたま母にとってのモルヒネがそういう症状を引き起こす要因だったということです。

モルヒネを使わなかった甲状腺がんの切除手術

大腸がん、腎臓がんよりも前に見つかっていたのは甲状腺がんでした。その甲状腺がんを手術するための全身検査で見つかったのが大腸、腎臓のがんだったのです。甲状腺はまずまちがいなく進行の遅い大人しいタイプ、それに対して大腸、腎臓はどちらもステージが進みこれ以上の浸潤を許すわけにはいかない - そんな診断の末の手術だったのです。

前の手術で経験したせん妄がよほど辛かったのでしょう甲状腺がんの手術ではモルヒネは使わないでほしいと頼み、別の鎮痛剤で術後を乗り切った母でした。

腎臓がんの転移と再手術、そしてせん妄

甲状腺の手術から半年あまり、さらなる術後の回復を図っている時に十二指腸とその付近のリンパ節、あるいは膵臓かと疑われる場所への転移が見つかりました。実際には十二指腸の背中側から膵臓に向かって、リンパ節、血管など抱き込むようにしながら転移がんが育っていました。切除しようのないがんに十二指腸から出血。手の施しようのない状態に、残された対策として提案されたのは、十二指腸に食べ物がいかないようにして出血 - 十二指腸の壁がそれ以上壊れてしまうことを避けるための、胃から小腸へのバイパス手術でした。

どの手術もすべて、母が自分の意志で決め、自分で同意書に署名して受けた手術ばかりでしたが、この手術のときにはやはり、痛みがもたらすストレスを避けることを勧められ、モルヒネを受け入れたのでした。

ただ、病院側もそれまでの経緯を考慮して処方の量も考えてくれたのでしょう。幻視、幻聴を訴え、「これは薬のせいなんだ」と言いながら、異常な躁状態にもならず、暴れたり大声をあげることもなく、術後を乗り切ったのでした。

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私たち兄妹は、父と母を通して2つのタイプのせん妄を知り、対応を迫られました。

ただ、最初にして最後というようなその経験に、後になって思い出しても悔いの残る、適切とは言えない対応だったような気がするのです。認知症という言葉知っていても実際を知っているわけでも、イメージできる訳でもない。まして訓練やその時に備えた兄妹間での話などできるはずもありませんでした。

結果的にその対応の時間、期間は短いものになりましたが、より具体的な準備や心構えができないものだろうかと考えている今日この頃です。

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