老老介護 - わが家の場合はこんなだった

「介護される者・する者」ではなく、共に生活する者と考えられるか

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ウィキペディアの説明では、「高齢者」は何歳からかという定義ははっきりしたものがないとされていますが…。

60歳あたりから上の年齢の人たちを高齢者と呼ぶでしょうか? あるいは医療制度で見ると、前期高齢者が65~74歳、75歳以上は後期高齢者と定められていますね。ということは、65歳以上ということになるでしょうか?

母は70代半ば、父は80代になっていたことを思い出すと、私の両親の場合、その最晩年は間違いなく老老介護の状態だったと言えるように思います。医療制度に照らして言えば、ふたりも “後期高齢者” になっていたわけです。

主に60代を超えた高齢の夫婦や親子・兄弟間において、配偶者が相手の介護を・子供が親(義理の両親の例を含む)の介護を・兄弟姉妹が相手を介護をする、などの様々なケースがある。

出典:ウィキペディア・「老老介護」

どういう介護状態だったか

両親の老老介護を振り返ると、たまたま、10年前の東北大震災がひとつの境目になっていました。
2011年の年の初めに父が自宅の玄関で転倒、大腿骨頸部骨折という重傷を負ったのがその境目になったのです。

2010年の12月以前 - 大腿骨骨折前の父

2011年の1月以前、重度のリウマチで介護認定と介護証明書の発行を受けていた父は、85歳を超え、私たちから見ても、体力はもちろん、精神的な意欲の面も減退しているのを感じられるようになっていました。

  • 散歩で外に出るということもほとんどなくなり、
    ベッドで眠っていることが月日を追うごとに長くなり
  • 食事の時間になると、ベッドから起き上がり、食卓まで出てきていたのも
    トレーに乗せた食事を時おり、ベッドに運ぶ… というようになっていたのです

介助は大きく分けると

  • 食事
  • 入浴
  • 排泄

の3つに分けられるだろうと思いますが、まだ本人がその気になれば、家の周りを散歩したり、買い物に同行したりすることもできたことから、自分ひとりでは危ないかな… と思われるのは

  • 入浴

実家は、洗面所を兼ねた脱衣所を中心に、浴室、トイレがつながったレイアウトでしたが、洗面所・浴室内・トイレの入り口と中と、動線上にぐるっと、介護保険を使って手すりをつけてもらっていました。

中でも、一番気を付けなければならなかったのは、部屋と部屋のつなぎ目。
敷居というのはほんの数ミリの高さでしたが、その数ミリが要注意だったのです。足が十分思うようには上がらないことがあったということです。

それでも、2011年の1月以前の父は、常に母や私たちが介添えしなければ移動ができないということはなく、

  • ベッドから起き上がり
  • トイレへ往復し
  • またベッドに入る

ことは自分でできていました。

入浴は

  • 脱衣所に行って服を脱ぐ
    また
  • 入浴が終われば浴室から脱衣所に出て体を拭いて服(あるいはパジャマ)を着る

ということは自分でできていました。

母が介添えをしたのは

  • 脱衣所と浴室の出入り
    (高さ10cm近い段差を降りるようにして入る浴室で、
    出るときには、その段差を上がる)
  • 浴室内のバスタブへの出入りと
  • お湯につかったり、出たり(お湯で足もとがすべる心配があるとき)

でした。

2011年の1月以前 - 術後せん妄のあと

大腿骨を骨折して修復の手術を受けたのは2011年の1月も終わり近く。

特に1月2月と時間を追うごとに父の術後せん妄は症状が強く - 他人に対して攻撃的な言動が目立つようになっていました。

3月。11日には、母が見舞いに行っていていっしょに同じ病室での東北大震災を経験したのですが、せん妄が少しずつ落ち着いて、母の言う事は比較的素直に聞けるようになっていた父でしたが、たとえば

  • 朝、顔を洗って、歯磨きをするとか
  • 必ずひげを剃る、あるいは
  • 入浴のときにはお湯につかる前にまず、体を洗う

というようなそれまで習慣的に、誰に言われなくてもやっていたことを、自分からやることがなくなっていたようです。

「あれはやらなくていいの?」と話しかけられると、「いいんだ」と言うようになり、「こうした方がいいよ」と母に話しかけられると、じゃあやるか… というような雰囲気でやるような状態になったのです。

直接的な介護、間接的な介護

母の父に対する介護は直接的なものは少なかったように思います。

食事を口もとへ運んでやるとか、バスタブへ父を入れてやり体を洗ってやるとか、紙おむつを履かせたり、それを交換してやったりということはありませんでした。

もし、そうした介護が本当に必要だったら、介護サービスの支援を受けなければならなかっただとうと思いますが、母以外の人には頑なで攻撃的だった父がどれくらい素直に、協力的に第3者の支援を受けることができたかと考えると、サービスを受けたくても受けらず、直接的な介護をしてやれなかったのが、良かったようにも思えるのです。

デイサービスの利用ど、ケアマネージャーが立ててくれた介護計画を、父はまともに実行しようとはしませんでした。介護活動というのは、私の認識が間違っていなければ、介護を必要とする本人の Quality Of Life を維持するためのもの。そして多分、介護にあたる家族の負担も軽減することが視野に入っているのではないかと思います。

本人の心や体のための支援が直接的な介護だとすれば、その家族 - わが家のケースでは母 - のための支援は間接的な介護だと言っていいように思います。そして介護は、その両方がひとつになっていなくてはいけないと思うのです。

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それが、「自分が世話できている」ということが母にとって必要だった - そう感じるのです。

介護される者は、「介護してほしい人に介護されたい」と望み、
介護する者も、「介護したい人を介護したい」と望んでいるとしたら…
そしてそれが、ふたりの Quality Of Life の真ん中にあるとしたら…

今私は、何がベストなのかは「誰のためか」によって如何ようにも姿を変えてしまうものだと感じています。

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