父の大腿骨骨折から学んだ歳をとるということ

高齢化のサイン

スポンサードリンク

心も衰えるということ

入院という名のショックで発症した譫妄(せん妄)

「高齢化社会」とか「認知症」というような言葉を聞くようになってもうずいぶん長い時間が経っているような気がしていたのに、「譫妄(せんもう)」という言葉の意味も正確に理解できていなかった - それは私にとって、高齢化社会などという大きな論議、知識以前に、歳をとるということがどういうことなのか一から学ばなければと自覚させられる経験でした。

外科的なものだとばかり思っていた骨折が引き金になって起こった意識障害 - 言い換えれば、自分の体が負った怪我、入院という生活環境の変化、診察や検査、手術のために様々な人に出会い質問され答えなくてはならないなどなど… 精神が対応しきれなくなって起こるショック症状のようなもの - それが父の場合のせん妄。

つまり、転倒したときに大腿骨といっしょに心も折れてしまった。高齢化でもろくなっていたのは、骨も心もいっしょだったのです。

大腿骨骨折が教えてくれたこと
(c) Can Stock Photo
大腿骨骨折、救急搬送、入院、そしてせん妄

リュウマチが進行し、80歳を迎える頃には要介護1の認定を受けていた父は、86歳になる年の2月、ひとりで留守番をしている時に玄関で転倒し、右大腿骨頸部を骨折。最寄りの総合病院に入院して手術を受け、その後のリハビリのスケジュールを立ててもらっていたのですが、入院後1週間を待たずに、譫妄の診断を受ける症状が出たのでした。

それは、早く退院して家に帰るのだと頑強な態度で私に迫ってくるような症状が最初でした。もともと子どもに対して強権的な態度を取る傾向がないとは言えない人だったこともあり、こんなふうにわがままを出されても困ったものだと受け止めていたのですが、1日2日と時間の経過とともに視線が定まっていないような違和感を感じるようになり、やがて、点滴の針をむしり取ってしまうのがとても危険だということで、ベッドに両手を固定する拘束バンドを使われていることがあるまでになってしまいました。

家に帰ることができない苛立ちを攻撃的にぶつけてきたり、その苛立ちを声を荒げて周囲の人たちに訴えてみたり、かと思えば自分の殻に閉じこもるようにして話しかけられても応えようとしなかったり。あるいは、看護師の人と穏やかに話していたり - にわかに現れたそうした症状は、日を追って強くなっていきました。

その父が、”これができるようになったらxx日には退院しよう” という医師の言葉でリハビリに取り組み、朗らかに周囲と話しができる以前の父に戻りはじめたのでした。

譫妄
いつから発症していたのかはっきりしない認知症と比べると、数時間から数日と症状を発症した日がはっきりしており、基本的には意識障害を伴い、幻視や興奮など行動や感情の現れ方が変化しやすい。一過性のもので、症状の原因になっているものを取り除くと症状が改善することも多い。

“意欲の低下” も心の高齢化のサイン

父は85歳になる頃には、母と連れ立って外に出るという意欲もほとんんど萎えてしまっていて、自分の部屋で寝て過ごす時間が長く、食事の時に食卓に着くのもひと仕事という状態になろうとしていました。その父が、出かけたくないことに理由をつけて、最低限のことは自分でてきるからと母を送り出して、自分はひとりで留守番をしていたのです。

その最低限のこと - のつもりで、その時は郵便受けの所へ行って、郵便と夕刊を確認しようとしてタイル張りの玄関の床で転倒したのでした。

同居の家族ではなかったからでしょうか。私たちが犯した誤りは

  • 一人でいたいという父のわがままをそのまま許したということ
    そして
  • 玄関を降り、外に出て郵便受けまで行くという行動が父にでできる最低限のことだと考えていたこと
    (要介護1の支援を得て、玄関から郵便受け近くまで、階段をなくしスロープにしていたのです)

本人の意思を尊重するということと、父の高齢化を認識して見守るということとをはき違えていたと言えるでしょう。ほとんどで歩くことがなくなっていた父の体力、筋力がどのようなレベルのものだったかほとんど認識していなかったか、そうした点に配慮することができない油断があったのかも知れません。

私なりの学習をした今であれば、外に出る意欲をほとんどなくしている父の様子を見た時に、認知症の症状のひとつが出始めていると捉えたことでしょう。ただ、老老介護で父と二人、自分たちでやるから大丈夫なんだと繰り返す母の思いや頑張りをむげに否定できないと考えてもいたわけで、生活の質を高めてほしいという思いは空回りしていたと言わざるを得ない面があったように思います。

何より、父の大腿骨骨折とその後の入院、リハビリを通して学んだのは、怪我をしたというショックで心の健康も損なわれてしまうということ。 若い身体であればリハビリによる回復が自信となり、心を支えてくれることがありますが、損なわれせん妄を発症した心には、身体とは別のリハビリ - 癒し - が必要だということでした。

そして、見守る側がせん妄 - あるいは認知症 - をせん妄として認識し、患者をあるがままに受け入れてやれることが必要だということもありました。父の場合がそうであったように、同じことを言っているようでも特定の人の言葉以外、聞くことができないという場合もあるでしょう。どんな症状が現れるかは個人差があるでしょうから、なおさら、見守る側の柔軟で寛容な感覚が必要になると思うのです。

スポンサードリンク

言葉で言うように簡単なことではないでしょう。だからこそ、第3者、つまりは看護や介護の専門家に相談したり、支援を仰ぐのも見守る側にとっては欠かせないことだと思います。

今、父の最晩年を思い起こしてみると、終末期 - 年を取るということがどんな症状になって現れるのか - を感じ取ることはできるように思います。それを感じることができれば、もっと本人の意思を尊重した見守りのためのアプローチができたのではないかと感じます。

もちろん、見守る側がそうした意識を持って必要な知識を得るためにどれほど勉強をしても、見守る側の思いのように終末期が進む保証はありません。しかし、一番大切かも知れない、見守る側の安心 - 安定した心で対応すること - につながるように思うのです。それが、患者本人の意思を尊重しながら見守ることになるはずと思うのです。

スポンサードリンク

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です