普段の生活への備えにもなる健康の記録
もしもの時に備えて記録しておく項目としては、日常生活の中でも役立つ可能性が高いのが健康についての記録ではないかなと思っているのですが、どうでしょう?
「エンディングノートの書き方」にむずかしさがあるとしたら、
(自分のことを自分ではできなくなった)自分のことを自分で書く
というあたりにあるのじゃないかと思います。
もしそうだとしたら、もしもノートの中でもこの健康についての記録は、お薬手帳といっしょに身近な場所に保管しておけると理想的かも知れないと思ってみることから始めてもらえたらいいのじゃないかと思うのです。
もしものことがあって何らかの医療処置を施してもらうことがあるとすると最初に必要になるのは
- 普段飲んでいる薬
- 治療中の病気
- かかりつけの病院や薬局がどこか
- アレルギーはないか
- 薬でアレルギーを起こしたことがないか
- 食べ物にアレルギーはないか
という、普段内科などにかかった時に聞かれること。
(あるいは、問診票 で聞かれること)
さらには
- 自分自身の既往歴
- 病名+かかった時の年齢(年月)
そして - 家族の中にがんや糖尿病、心臓病ほかの大きな病歴を持った人がいないか
そのあたりまでの記録をしておくと、自分に付き添ってくれる家族を間接的に補佐することができることがあると思うのです。

もしもの時の備えにもつながる介護についての記録
健康に関連する情報が日常的なレベルにも必要な備えなのだとすると、介護認定を受ける前に記録する介護に関する項目は、告知や延命処置に並ぶ将来のための準備です。
そうした情報は、認知症になったり、病気や怪我などが原因で判断を誰かに担ってもらわなければならないということになった時への備えとして、少し具体的なイメージを持ちながら記録しておくことが必要でしょう。
ただ、このイメージがなかなかむずかしい。すでに両親や親族で介護を必要とし、介護サービスを利用しているという人がいれば現実味を持ってイメージすることができますが、そうした経験がない場合には介護についてのシミュレーションができるくらいに頑張って内容を学んでおかなくてはいけない、ということになってしまうでしょうか。
自分に判断能力がなくなった状態を前提とするのであれば、介護のための費用の支払いと手続きはすべて代行してもらわなければなりません。家族にそうした支えを頼むことができるのであれば、
- どんな形の介護を頼みたいと思うのか
主に場所がキーになるでしょう (自宅か病院・施設か) - その介護のための費用をどのように賄うのか
- 蓄えがあるとすればその情報とともに
- 介護保険などに加入しているとすれば保険内容が確認できる書類(証書)など
を記録してくことが必要です。
そうした負担を担ってもらうことができる適任者が家族にいない場合など、事情によっては、事前に後見人を決めておくためのシステム 任意後見人制度 を検討することになるでしょう。
任意後見制度は本人が契約の締結に必要な判断能力を有している間に、将来自己の判断能力が不十分になったときの後見事務の内容と後見する人(任意後見人といいます)を、自ら事前の契約によって決めておく制度です(公正証書を作成します)。
出典: 成年後見制度 完全マニュアル
こうした契約を結んでいる場合には、その内容を財産の管理をお願いする人として記録をしておきます。
MEMO:
判断能力を失った状態であれば任意後見人、判断能力があっても身体的な行動に限界があるような場合に依頼するのが代理人です。
介護をしてもらうということを考えると、介護してくれる人、あるいは介護を手配してくれる人に自分を知ってもらうことが望ましいことが多いように思います。そのための情報が介護をしてくれる人を間接的に助けることができることもあるのです。
- 食事についての好き嫌い
好きな食べ物、果物、飲み物や味つけなど - 普段使っている食器
- 衣類についての好み
- 趣味や習慣
- 普段聞いたり見たりしている音楽や番組
- 本やビデオ/DVD
- スポーツ観戦
- 手芸や絵画、ゲーム
- ペットや植物
介護を通したQuality Of Lifeに関わるものという気持ちで考えてみると、実現は二の次にしても、自分を伝えるための情報が意外と多いことが分かるでしょう。
介護をいつ・どのように考えたか
大腿骨骨折のあと誤嚥性肺炎で父を、甲状腺・腎臓・大腸がんから消化管出血で母を亡くした私は、両親のどちらをも、介護することができずに亡くしてしまいました。ただ、母のケースではがん闘病という、比較的時間があり、どんなふうに介護ができるかということをはじめ、相談したりシミュレーションしてみたりしました。
この記事は、ある意味、その経験をたどっているようなところがありますが、そうした自分の考えたことも含め、自分の経験そのものがどんなものだったか確認したいような気持ちがあるように思います。