「仕事はたのしいかね?」- あのタイトルの意味を見つけ、実現できる働き方とは

会社(組織)を考えられるようになると、個人の立ち位置が分かる?!

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会社という名の組織の “歯車” のように扱われるのはごめんだ…
そんなことを言うようになったのはいったい何十年? 前だったでしょう?^^;

「個性」や「個人」ということが強く、機会があるごとに語られる時代になっているような気がするのですが、この著書は、「仕事を生産的なものにするためのポイント」と呼んで「管理する側が仕事を任せる」という目線の定義を示しています。

私たちは、人に仕事を任せる際、仕事そのものを作ることから任せてしまうことがしばしばあります。任せられた人は、独断で仕事の内容を決め、取り組みます。その結果、その人にしかできない仕事に「育ってしまう」ことがあります。
最大のデメリットは、仕事の品質や生産性の基準が、”その人基準” になってしまうことです。要するに、管理不能な状態です。

人に仕事を適合させるのではなく、仕事に人を適合させる。そのために、仕事をきちんと生産的なものにする。それが、人に仕事を任せる際の前提条件です。そうでなければ代替性を欠き、収拾がつかなくなってしまします。

出典:上田惇生氏 監修 / 佐藤 等氏 編著・「実践するドラッカー【チーム編】

この言葉を意訳すると…
仕事に生産性をもたせるためには代替性が必要だ」と読めるような気がします。代替性 - つまり、「誰にでもできるという特性と言えば分かりやすいでしょうか。

効率的な仕事ってどんなものだろう?

仕事を任される側にしてみると、はじめから「代替性」(つまり、「誰にでもできる」)なんて言われたくない! と言いたくなりそうですね。仕事に自分の存在感とか、自分にしかできない技術や特徴を表現したい… そんな感覚をもって取り組もうとすればなおさらのことのような気がします。

ただ、仕事を任される者はもう少し賢くならないといけませんね。

仕事を任せる側(雇う側・使う側)にしてみれば -
働く者の仕事に取り組むエネルギー、モチベーションなどを維持し、発揮し続けてもらう必要があるわけですから、過労は困る。適度に休憩や休暇を取れるようなシステムになっている必要があります。

その人がいないと動かない仕事ということになってしまうと、たとえば、その人が体調を崩して出社できない・納品ができないとなれば、注文に対応することで成り立っている仕事ならば注文主(クライアント)の信用を失うことにもなりかねない。

これは生産性以前の問題になってしまうわけですね。

だから、この一節は、働く者・仕事を任される者の個性を尊重していないことになるの!? というような、短絡的な解釈をしてはいけない一節なのです。

言い換えれば、仕事を任される者は、「代替性」のように、会社(組織)が必要だと考えていることの意味をよく理解しなければいけない。そうすることではじめて、正しい意味での自分の立ち位置とか、役割りというものが分かってくるように思うのです。

仕事を任される者が自分の仕事の意味を確かめるには

言葉を変えると…
働く者の側から、この生産性を高め、成果に近づくことはできないものだろうか -
どうも私はそんなことを考えてきているような気がするのです。

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自分の個性を主張し、自分の存在意義を認めてもらうためには、会社が必要としている力の出し方をしなくては… そのことを若い仲間に伝えるにはどうすればいいだろう、と。

「成果」とか「生産性」、「効率」、あるいは「収益性」など、どんな言葉を持ってきても、働く(雇われる)者の側には、自分の反対側にあるもの・自分と相対するもの - 言い換えれば、雇い管理する側の言葉としか聞こえていないのではないのか… そんな心配があるのです。

仕事を任される側の人間がマネージメントを理解できるようにするには…
そのヒントをドラッカー氏はどこかで語っていないだろうかと最近、考えています。

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