手が届くのだろうか - 一番近くにあってほしい医療と介護

かげろうのように逃げる医療と介護に追いつくことはできるのか

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医療と介護はどれほど身近なものか

私の父は肺炎で入院したまま、そしてがんの終末ケアを必要とした母は私が選んだ居宅介護支援施設で亡くなりました。

両親を見送った私は、自分はその時のために何が準備できるのだろうと考えるようになったのですが、「家に帰りたい」と言いながら病院、あるいは施設のベッドで亡くなった両親のことがあったからでしょうか。私にとって最初に確認しておきたいと感じたのが、在宅介護、あるいは在宅での終末ケアの可能性でした。

ただ私にとって意外だったのは、ちょっと見回して見ただけで、同時に自分のまわりに「在宅介護」や「在宅での終末ケア」という言葉がたくさん聞こえるということでした。

母の最晩年、がんセンターと実家の間を何度も往復し、在宅介護を頼む契約を取るために介護支援センターの人やがんセンターのソーシャルワーカーと呼ばれる人たちと何度も合い、母はどんなふうに実家で過ごすことができるだろうかと相談していたにも関わらず、「在宅介護」という言葉にも、「在宅での終末ケア」という言葉にも出会うことはありませんでした。

東北大震災の直後から2年、3年という頃には「在宅」という選択肢はなかったのでしょうか?

そんなことはないはずです。あれこれと勉強するほどに、10年と言わずそれ以上前から「在宅での看取り」に取り組んでいる医療関係者の方がたくさんいることが分かってきましたし、何より、最近になって診てもらうようになった診療所は『自宅で看取るいいお医者さん  家族と平穏死をかなえる完全ガイド (週刊朝日ムック)』にも取り上げられている在宅看護・訪問看護、そして在宅での看取りの実績を続けているところでもあったのですから。

自分たちのための医療・介護にするためには
we need tenderness of our mind
(c) Can Stock Photo

自家用車で片道1時間、距離にして50km足らずの実家があった地域では、なぜ「在宅」の言葉に出会うことができなかったのか今私は、私自身が「在宅」の必要性を中心にして働きかけなかったからだと思っています

必要を感じ、あるいは必要に迫られ、自分から求めなければ選択肢が示されることもなければ、アドバイスを受けることもできない、それが医療であり介護なのだと思っているのです。言葉を換えれば、私たち自身から勉強し、歩み寄らなければ私たち自身のための医療、介護にはならないということです。

もちろん、70歳を過ぎ、80歳を過ぎた高齢者にそうした積極的な活動を求めることに無理があるということは十分に分かっています。「自分の体に何が起こっているのかちゃんと理解したい」と願いながらも、噛み砕いた言葉を選び、繰り返し説明してやらなければ理解することができなかった母を見てきていますから。

ですから、私は、医療や介護を必要としたとき、その医療や介護を “私たち自身のためのもの” にすることができるのは、仕事においても生活においても現役真っただ中の、思慮分別と判断力を備えた40代、50代の若い方をおいてほかにないだろうと思っているのです。つまりは、ご自身の両親のQuality of Lifeを支える判断は私たち現役世代なのだろうと思うのです。

現役真っただ中ということは仕事の面でも責任ある立場にいることが多く、子育てをしていれば、学費の問題などをはじめとしてやはり佳境に入っていることが多いでしょう。ですから、直接ではなく、その信頼されている立場と経験を生かすという意味において、なのですが・・・

すぐそばにあった “在宅” の可能性

両親に付き添っていた時の私が知ることができなかった在宅での医療、在宅での介護は、実は私のすぐそばにあるということが分かってきたのですが、それは医療・介護一括法にも表れている、医療・介護に在宅という2つ目の重心を求めようとするそれまでの流れのゆえなのだということも分かってきました。

「在宅看護」や「在宅医療」はそうなるべくして私のすぐそばにあったのです。いったい私は新聞をどう読み、ニュースをどう聞いていたのだろうかと自分でも唖然としたものです。

そしてその一方、医療・介護一括法に注意して見ると、「在宅介護」や「在宅医療」は私などがようやく理解できたと思っていた仕組み・手順を変え、一回り私たちの手から離れてしまったという感じがしなくもありません。

それでも医療・介護は逃げていく

つまり、病院があり、介護施設がある安心感をベースに在宅医療・在宅介護の可能性を探すことができていた - そんな感覚があったのですが、介護認定レベルが上がるまでは - 在宅による自助努力で生活をしようと言われるような状況になってきているのです。

  • 特別養護老人ホームへの入所資格の変更:
    要介護1 → 要介護3へ(より重症の方へ)(2015年4月から)
  • 要支援1、2の介護サービスは介護保険から切り離されて市町村が管理運用する事業に
  • 介護保険の利用者負担の変更:
    一律 1割負担 → 年収280万円以上(判定単位は世帯ではなく個人)の方は2割負担へ(2015年8月から)

特に、末期がんの患者であっても、治療の方針が立たない(回復という目標を設定できない)となれば、がんセンターにいる場所がないという経験をしてきただけに、医療と介護に何を求めることができるのかを知ることはどうしても必要なことだと感じるのです。

医療・介護一括法が施行されたあと、次のクライシス?

そして、そんな現実を再認識したかと思った矢先に聞こえてきたのが、2025年には老人医療・介護が崩壊するという警鐘 - 『日本で老いて死ぬということ―2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか』です。なんとも、穏やかな話しではありません。

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近づけるかと思うたびに遠くへ行ってしまう - このかげろうのような医療と介護。

自分でできることを・・・というモチベーションがあるうちに、はたして何ができるでしょうか。

to be continued…

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