誰の胸にもあったはずの純粋な疑問
幼い頃、胸に芽生えた想いをずっと抱えたまま大人になって、その周りで色々な経験をしたり感じたり、考えたりしてきた。その胸の想いにこの頃になってようやく答えが見つかったような気がする - そう感じている私は、この著書『人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-』に共鳴を感じています。
幼い頃、私は「どうして人間には良心があるのだろうか」という素朴な疑問を持っていました。
(中略)
その一方で、自分が生きる世界はこの世でしかなく、死ぬと無になれるのならどんなに楽だろう、この世で何をしてもよいし、疲れたら死ねばよいことになる。幼いながらも、生きるということに対して何かとんでもない旅路につかされているようなしんどさを感じていた私は、何も考えなくて済むなら無になりたいものだと思っていました。
また、なぜ自分は今ここにいるのだろうか、自分のいる地球を含めたこの宇宙はどうして存在するのだろうか、この宇宙は誰が作ったのだろうか、といったことをよく考えていました。
それが、この著書のはじめに語られている言葉ですが、私が幼い頃に持った想いもよく似ていました。
「無になりたい」とは思いませんでしたが - 著者の矢作直樹さんの記憶の頃より、私の記憶の頃の方が幼いのかも知れません - その頃叔母のひとりの葬儀に触れたこともあって、「自分はどうやってここに来たのだろう、自分の中に感じている命とはどんなものなのだろう、やがてこの世のものでなくなるのだとしたら何のために生きていくのだろう」というようなことを考えるようになったのです。
振り返ってみる自分が歩いてきたところ、自分の想い
みなさんにも、同じような想いを持った頃がなかったでしょうか?
子どもの純真さがあるからこそ生まれてくる素朴な疑問は、ややもすると答えることが簡単にはできないほど究極的なものであることが多いように思うのですが、「誰もが通る道なんだよ」という言葉と一時の熱に浮かされているような疑問はやがて忘れるのだから、あまりこだわることはないとかたずけられてしまうこともまた多かったような気もするのです。
そうした純真な、素朴な想いに対する扱いは年を経ても変わることはなく、「今さら」という言葉に遮られ、「頭が固い」「哲学的に過ぎる」、あるいは「理想主義に傾いている」と言われるようなこともあったようにも思います。
特に私が育ってきた時代には「無気力・無関心・無責任」の三無主義という言葉が生まれるような時代もあったからでしょうか、高度成長期と呼ばれる時代を通っていたこともあったからでしょうか、そうした根源的・究極的な疑問 - 言い換えれば、時間のかかる疑問や想いを「暗い」の一言で退けるような風潮さえあった - そう思っています。
もしかすると、現代を生きる私たちは常識として、そうした根源的・究極的な疑問や想いは人前に出さないものという感覚を持っているのではないでしょうか。
たどり着いた世界観は
著者の矢作さんが「どうして人間には良心があるのだろうか」と感じたというのに似て、私はずいぶん長いこと「なぜ人(自分)は自分を伝えたい、相手を理解したいと感じるのだろうか」と感じてきました。私の場合は矢作さんよりも遅めの自覚だったように思いますが、人の心というものを巡って文学や歴史、哲学や宗教へと答えを求め続けたことがあります。
それだけに、著者の矢作さんはそうした一番純粋な疑問を数十年の経験 - 文字通り「生と死の現場」で過ごし、科学では説明のつかないいくつもの経験 -を通して、死生観、人生観、宗教観といった内面世界へとつなげていったのだろうと感じます。
私にとっては、自分の中にあってずっと鼓動し続けてきた想いがあるのならば、それを伝え分かち合うことのできる誰かに巡り合いたいものだと思わせてくれる著書です。なぜ矢作さんはこの言葉
寿命がくれば肉体は朽ちる、という意味で「人は死ぬ」が、霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」。私は、そのように考えています。
にたどり着いたのか、どんなことを伝えようとしているのか分かるような気がするのです。