父に重なって見えていた老いの姿
父を通してはじめてせん妄というものに出会ったときは、とてもショックだったということを書いたことがありました。大腿骨骨折の治療のために入院していた父に、ある日を境に人格が変わってしまった! と感じる症状が現れたのです。
その症状にふれて、私は(私たち子どもは)、認知症はこんなふうに現れるもんなだなと感じたものでした。ところが、看護師にしても、主治医にしてもその症状はいわゆる想定の範囲内だったのです。
認知症というのは、ある日を境に… というように現れるものではなく、
父の症状はせん妄というものだということ。そして、
せん妄の原因になっている状況が解消されれば、せん妄自体の症状も回復するのだ、ということを教わったのです。
心が、自分のおかれた状況を受け入れられなくなっている -
私はそんなふうに、そのときの父を理解したのですが…
壊れたからだを直してもらうために入院が必要だし、からだが回復するまで療養もしなくてはいけない、しかも回復を促進するためにリハビリも頑張らなくては… と、健康な心ならば自動的に、やるべきことを感じ、理解し、判断してつないでいくことができるはずですが、健康な精神回路といえばいいでしょうか、その回路自体がふさがってしまっていたのです。
心にも力がある
そのとき、私にもう少し余裕があれば、自分の子どもが小学校1年生のときに入院したときのことを思い出せていたかも知れません。
たぶん私たち親の迂闊(うかつ)さがあったのでしょう。そのとき、私の子どもは肺炎になって入院をせざるを得なくなってしまったのです。親が付き添いで添い寝することができない病棟で、私の子どもはひとり、たぶん、不安やさみしさを抱えて入院をつづけました。
そして…
何日くらいの入院だったでしょう。家に帰れない不安とさみしさから、食事がうまくとれないようになってしまったのです。「この薬が効いて、症状がこんなふうに良くなれば帰れるから頑張ろうね」という励ましに応えきれなくなってしまったのです。
頭で分かっていても心やからだがついてこない… とはよく言いますが、父の入院より何年も前に、私はそんな経験をしていたのです。
病院はからだを治す・治してもらうところ?
自分の子どもを通して経験したはずのもの - 思いやる、ということが、父のときにできていたのだろうかと感じることがあります。
「手術も成功したし、歩くことができるようになれば帰れるから頑張ろうね」-
そうなんです。わが子に話していたことをそのまま口にしていたのです。ところが、わが子のときのようにその言葉は届かなかった。
そのとき感じたのは、病院に行く・入院する = 心やからだのわるいところを治してもらうことだと、誰もが思っているんだということでした。もちろん、私自身も含めてです。
そして、病院に行く・入院するということには、計画と日程があるということも覚えたのです。
特に入院には治療計画なるものがあって、その目的が達成されれば患者をいつまでも入院させておくことはできない… というわけです。
すべての医療機関が一律そうしたものではないらしい、というあたりが私たち素人にはむずかしいところですが、この計画や日程が、父にはプレッシャーだし、思いを混乱させるものでもあったように思うのです。
心も老いる
何より忘れずに覚えておきたいものだと思ったのは(そして、今でも思っているのは)、心もやわらかさをなくし、硬くなってしまうことがあるということ。これも、みんな一律というものではないと思いますが、思わぬ形でそれは現れることがあるという気持ちの準備はできないものだろうかと思うのです。
そのためのヒントかなと思っているのが「病院は治す・治してもらう場所」だという常識? にとらわれないことのような気がしています。
心の問題だけに無理は禁物!! … とも思っていますが、いつまでも自分でいられるように・いてもらえるように、のヒントを見つけたい。