まだセピア色になりきっていない思い出

あるがままでいたい。あるがままでいてほしい。

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職場を見まわしても、兄妹の家族や親族を見まわしても、病や事故で家族を亡くしたという人はすぐそばにいる - いつの頃かそんなことを思ったことがありました。

たぶん、母のがん闘病に付き添っている頃だったろうと思います。

私自身が 1歳で肋膜の炎症を伴う結核性脳膜炎にかかったという既往歴を持っているのは、この家族に生まれたことと無関係ではないのかも知れない… というような、ちょっとネガティブな思いといっしょになっていたように記憶しています。

そして、数千人に1人 というほどの生存率を越えて生きてこれたのだから、母もきっと大丈夫だと思いたいようなところがあったようにも思うのです。

どんなことがあっても受けとめられるように…
どんなことが起きても不思議はないのだ…

そんな覚悟のようなものを持ち続けようとしながら、ふだんの自分はその覚悟さえ意識のどこかへいってしまっていた - けれど時々、意識の中にふっと浮かび上がるようにその覚悟が戻ってくるのです。

nightmare(ナイトメア)っていうのはこれのことなんだなと考えたのも同じころだったと思います。

主治医との話し、ソーシャルワーカーとの相談。町役場に行って必要な相談や対応をお願いしたり、母のためのケアマネージャーや介護サービスを提供してくれる担当者との話しをし、そして職場から持ってきた今日の予定の仕事をこなす。

あとは、食事をして、風呂に入って明日に備える…
明日は検査に付き添い、万一、出血の発作が起こったときにはこうして… あれをやって… 職場から持ってきた仕事はこうして対応を頼んで…。

そうやって、頭が何かを考える空白を残しておかないようにというほど「やれること・考えられることはすべて」やっていても、ナイトメアがすべりこんでくる隙間が残っていたという感じでした。

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(c) Can Stock Photo

忘れよう! 前向きでいよう! というようなことは、決して考えはしなかったのです。
片時も静かにしていないというほど動き回っていたのですが、これをやっていれば.. というような、何かを意識しながらということもなかったのです。

週末には、実家の50坪を超える庭の掃除や草ひき、庭木の手入れ、ごみ出し。また、自分が使っていた部屋やトイレ、脱衣所やバスルームの改装とずいぶん色々なことをやりました。際限なく目を出し伸びてくる庭の雑草を押さえるために遮光シートを張ったり、庭石を引いて歩きやすいようにしよとしたり、そのためにホームセンターと実家を何度となく往復したり。

週末にやる実家のかたづけや改装は母の最晩年 - 亡くなる2か月前までやっていたのですが、その頃になって、実家のかたづけや改装、庭木の剪定をやりながら、自分にとってはこれが経を唱えているようなものなのかも知れないなと、家内に話しをしたことがありました。

どんなことがあっても受けとめられるように…
どんなことが起きても不思議はないのだ…

という2つの思いのすぐ隣に

そのときは必ず来る…
そのときまで変わらず付き添う…

そんな思いがあったように思います。

自分を支えてくれたのは家族です。家内と子どものふたり。
私の言葉をひたすら聞き、意見をしながら、協力してくれました。

家族みんなが、ああでなければ… とか、こうでないから… ということを言わない性格だったのが幸いしたように思います。できることはやってやりたい。けれど、望んでもできないことはある。だから、できないことを悲しまずにできることをやろう - そんなことをくり返して話し合っていたように思います。

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くり返して… ということは、「これでいいのだろうか?」という心配や迷いがそれだけあったということかも知れません。

そして、私の世代・母の世代だからだったでしょうか -
母に付き添うということは、男の私ではできない・至らないところが多々ある。誠心誠意、協力してくれた家内も話していましたが、私たち夫婦では届かないところをカバーしてくれたふたりの妹でした。

職場を見まわしても、兄妹の家族や親族を見まわしても、病や傷ついた家族に寄り添おうとしている人がすぐそばにいる - 今日もそのことを思い、当時の自分を思い出しながら、友人とその家族の健康を祈っています。

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