核家族のあり方 - 私たちの将来はどこへ向かっているのだろう

義母の周りに見る「思いやり」の形

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いつの頃から、「人様に迷惑をかけないように」という、周囲の人への思いやりの部分だけが独り歩きするようになったのだろう⁉︎ 最近、そんなことを感じています。

たぶんその感覚は今の常識みたいなもので、誰もがそう感じながら生きているんだろうと思うのですが、いつからこうなったんだろう⁈ と感じることが増えているような気がしているのです。

核家族としての暮らし

20代30代のころ、核家族というのは、親もとを離れた子ども世帯のことをいうように思っていたのですが、実は - よく考えてみれば - 子どもが離れたあとの親の世帯ももう一つの核家族ですね。

かつて独身で両親と同居していたころの私には、両親との関係に軋轢(あつれき)というものがありました。

その私自身がそうだったように、

子どもは親子関係に理不尽なものを感じながら、圧迫の中で暮らし
その理不尽さ、親からの圧迫を嫌って親のもとを離れる。

つながりの中で独り立ちを目指したのとは違うから、一度離れればそのまま。

あるいは

親の背中を見て育っても、親の生活を受け継いだままでは暮らしが立ち行かない
だから、子どもは親のもとを離れて暮らすようになる

違う生活。距離感。今日を暮らす以上の保証を得られるわけではないから、子どもは親のもとに帰ることもなく暮らしていく。

いつしか親は年老いて、いつの間にか、「子どもに迷惑はかけられないから」と、それまで以上に自ら子どもから離れる生活を選ぶ。

高齢者の健康は、子どもや若い人たちと交流することで維持しやすくなる - たぶん親も子もそのことは分かっているはずなのですが、親にとっても子にとっても、
「自分半分。相手半分」- 半分ずつ出し合い、半分ずつ補い合って一緒に生活するということをやめてしまった世の中なんだなと感じます。

「人様に迷惑をかけないように」という思いやりがあるからこそ? 人と関わらない生活を選ぶようになっている?? - それが私には、思いやりの部分だけが独り歩きするようになった結果だと見えるのです。

そして、「人様に迷惑をかけないように」と感じないですむように… というちょっとネガティブな発想から出たものとも言えるかもしれない、と考えてみると、ぼくらは本当に大丈夫だろうか? とさえ感じるのです。

それでもやって来る人生100年時代⁈

リンダ・グラットン氏のLIFE SHIFTが語った人生100年時代。この著書で語られている、もともと人生100年の可能性が高い - 今の20代前半あたりの人たちは、グラットン氏が語るほどの社会環境が変化も発達もしていなくて、備えようと考えているとしても備えようがないかも知れません。

そして何より、今の20代であろうが30代であろうが、それぞれの世代のつながりが薄れて、それぞれにひとりで何とかしなくてはいけない - 人には迷惑をかけられないのだから - という傾向をつよくしているとすれば、そうした「生き方」が変化していることを話し合う、一緒に考えるということもないかも知れない。

私たちの世代の感覚を今の時代にそのまま持ってきたとすれば - いえ、多分今の世代の人たちも同じなのではないかと感じますが - たとえば、25歳にもなったら自分が100歳になるときのことをイメージしながら、生き方を考えたり選んだりしなければ… と言われていたことでしょう。

「人様に迷惑をかけないように」という今の感覚には、干渉し合わない… 人は人・自分は自分というニュアンスも混じっているように思うのです。

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LIFE SHIFTをよく読むと、語られているような、人生100年人生をまっとうできるのはある年齢以上の若い世代だということが分かってきます。今、一定以上に年齢のいった者も100歳に向けて寿命を延ばせるということを言っているわけではありません。そうした人たちのためのソリューションはほとんど示されていないように思います。

それでも、私たちの親や私たち自身の余生、半生は、人生100年に近いものになっていく…

かつて私の両親が「子どもたちに迷惑をかけないように」と夫婦間での老々介護をがんばったのを思い出しても… 同居する義弟の将来を心配しながら「子どもの生活に踏み込まないように」と義母が言葉をのみこんでいるのを見ても… 私たちは思いやりの使い方をもう一度覚え直さなくていいのだろうかと感じるのです。

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