仕事を辞めることができるか
今のペース、時間のかけ方のまま、会社の実務を回し、組織改編を進めるためと思えることに時間をかけ続けることが、自分のためになるのだろうか⁇ -
つまりは、四六時中、職場を中心にして仲間のことや仕事の内容についての事ばかりで終始している - 年齢や体力とのバランスなんかを考えても、一種、精神的なワーカホリックと言えるような状態になっているような気がするのです。
せめて、そんな状態を軽減するための自分なりの答えがほしいと思いながらも、その疑問がクリアにならないまま、毎日の仕事、毎日の暮らしを続けている… この調子をうまく打破する方法はないものだろうかと思っています。もうかれこれ何年越しで。
「何年越し」ということは、この “引きずった” 感触 - つまり、ひとつのことをやりながら、それとは別のことをやろうとするところ - が、本来の自分らしさ? なのかもしれないという感覚があるからでもあります。
考えないまま、流されるようにしているのはかえって落ち着かない… というような。
そして、なんとはなしに、「こんなことを考えることができるのは、現役サラリーマンとしてはこれが最後じゃないのか」という感覚があって、それだけに、もう少しなんとかならないだろうかという気がしているのです。
それでも、これまで通りを続けている - なぜかといえば…
自分のため? になることを探さなくちゃ… 自分のためになることに力をかけたいと感じるからなのです。
ただ、それが分かったとして、それを実現するために力を注ぐことができるだろうか⁈ 集中力が必要な気がするんだけど、その集中力が発揮できるんだろうか⁇ という戸惑いのような感覚もあるからだという気もするのです。
なんともはや、同じところをグルグル回っているのですね!^^;
会社は会社。自分は自分。
自分にとって大切なことを見極めるには、仕事を… あるいは職場を離れた方がいいのじゃないかと思いながらその仕事を続けているのは、「これまで」の自分に何かの答えを求めたいからのように思うのですが…
こんなことを考えるようになったのは、「会社は会社。自分は自分」ということを感じてからです。
社会 ↔︎ 会社 ↔︎ 個人 というようなつながりがあるものと思っていた - どうもそれが自分の社会観とか生活観、仕事観を作ってきたような気がしていたのです。
会社は社会に貢献し、個人はその会社に労働力を買ってもらい社会への貢献に寄与する… というように。
そのつながり感の基本にあったのが、縦の上下関係でした。
- 社会は会社に対するべき論を求める、
- 会社は個人に対してべき論を求める。
- 私たちはその関係を封建的だといって否定し、反抗もしてきたのに、別の意味で
社会 ↔︎ 会社 ↔︎ 個人
を求めてきた…
そんな気がするのです。考えてみれば、何と古い世界観・価値観か!
ところがどうもそうではないらしいということを感じることが増えてきた。
当然のことながら、今感じているギャップを作り出してきたのは私たち自身なのですね。
個人→会社:
個人はブランドという誇りを会社に感じて仕事はしている。
会社→? 社会:
ところが、会社が社会とか世界に対して何を標榜し、目指そう・貢献しようとしているか個人にはよくは分かっていないのではないか? 個人に知らされることなく会社は存続しているのではないか?
リーマンショックのような背水の状態の中で、社会も会社も個人も、互いのつながり・関わり合いを強めることで難局を乗り切ろうとするよりは、互いの関係を断ち切って自分を救おうとしてきたのだなと感じることが増えたのです。
企業は営利を追い求めるのが当然 - という昔から言われてきた、価値観・世界観は、そこで働く人やその人たちの生活の場との関係を顧みずに利益だけを求めている?? …
たぶん、そんなことはないのだろうと思いながらも、そうとしか思えない世界を見ながら生活している・仕事をしている、そんな気がしているのです。
そして、そんなことを言っている間にも、世の中では、今の私たちの世界・世界観 - 今の資本主義 - はもうじき終わり、新しい形になるとまで言われるようになっているのです。
ブームの中で自分を考えることはできるのだろうか
なんと言っても感じるのは、100年ライフとか人生100年時代という言葉で自分たちの人生を捉えようとする見方は、あきらかにブームが作り出したものだろうということ。
その中で、かつて? ブームと言われた、あるいは今も新鮮だといわれるドラッカー理論に学んで、
社会 ↔︎ 会社 ↔︎ 個人
の中の、自分の立ち位置を確認したいと考えている…
なんとも進歩のない? 時間のかかることをやっているものだと感じるのです。
多様性を尊重する世界を作らなくてはいけない… といっているのに、その生き方はみな同じでないとおかしいという暮らし方をしているのではないのか - そのことに自分では気づいていないのではないのか。
もしかすると、自分のことを考えるということと、仕事・職場のことを考えるということは完全に切り離すべきなのかも知れません。
Living Will を誰かに伝えておく - それは、判断と決断ができる健康な状態でなければできることではない!
それに近いことを今、考え、決めようとしているのかもしません。