寿命という言葉がなくなって、今は100年時代
どこかで何となく刷り込まれている感じがする「人生80年」という言葉。考えてみれば、その刷り込みはちょっと不気味で怖いものだと思います。
50歳になり、60歳になりと年齢を重ねるごとに、体内時計というか心理時計というか、年齢とか寿命とかいうものに対する本人の意識に合わせて自動的にカウントダウンをはじめるような気がしてしまうのです。
私の父親などは、55歳定年制がまだ生きていた時代の人だったわけで、現役を速く退きたいと口にしていたようですから(私たち子どもの前ではなく、母と二人のときの話しだったようですが)、当時の父が定年とか現役、あるいは老後という言葉にどんなイメージを持っていたのか聞いてみたかったなと思います。
なぜなら、55歳定年というのは、今の私の感覚に言わせても「えっ!?」と声が出てしまいそうになってしまいますから。その息子の私は、自分や家族、周囲のためを思うと最低でも70歳までは働いていられるようにしたいものだと思ったりしているのです。この差はいったい何でしょうね?^^;
老後と呼ばれる時間帯をどう生きるか - そういう類のシグナルが私たちの日常には十分すぎるくらいにありますし、60歳から70歳、80歳と年を重ねていった両親を見てきたからなのでしょうか。
人が長く生きるようになれば、職業生活に関する考え方も変わらざるを得ない。人生が短かった時代は、「教育→仕事→引退」という古い3ステージの生き方で問題なかった。しかし、寿命が延びれば、二番目の「仕事」のステージが長くなる。引退年齢が70~80歳になり、長い期間働くようになるのである。多くの人は、思っていたよりも20年も長く働かなくてはならないと想像しただけでぞっとするだろう。不安も湧いてくる。そうした不安に突き動かされて、3ステージの行き方が当たり前だった時代は終わりを迎える。人々は、生涯にもっと多くのステージを経験するようになるのだ。
出典:リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット著「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」
「人生80年」という言葉の中には、平均と言われる寿命くらいまでは生きていたいものだという気持ちが込められているように感じるのですが、その時の私たちは、80年という人生は長い方だと思っているだろうか、短い方と思っているでしょうか? どちらかと言えば、長い方、それもあまり欲張らないちょっと短めの長い方 - 違いますか?
ともあれ、その感覚で身辺整理とか人生の見直しを考えたいなぁと考えていたことを思うと、「人生100年」と聞かされるともう一度「えっ!?」と声が出てしまいますね。
国連の推計によれば、2050年までに、日本の100歳以上人口は100万人を突破する見込みだ。第1章の図1-1で示したように、2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きることが予想される。いまこの文章を読んでいる50歳未満の日本人は、100年以上生きる時代、すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい。
55年定年の人生を見てきて、自分の70歳現役と「人生80年」を夢見たい - そう、私などは「より長い人生」というものをあまり意識してないように思っているのですが、その終着点を忘れてしまうくらいならば、心に力を感じながら暮らせるのだろうなと思うことがあるくらいですから、「100歳」にびっくりしている時代ではないのでしょうね。
長寿という言葉が今はマイナスに捉えられてしまうのですが、そんなうつむき加減でいるのはごめんだ! というくらい、元気を出して自分の人生に一生懸命にならなくては! そう思いますね。