病気ではなく、人を診る?
認知症、せん妄、あるいは老化 -
それがどんな名前で呼ばれるとしても、目の前の人が、自分が知っている人ではなくなっている、あるいはなくなっていくとしたら、どうしても “肩に力の入った” 対応をしてしまいそうな気がします。
父や母に現れた せん妄 という症状は、あることをきっかけに、きのうときょうの境目が分かるくらい急激に人格が変わってしまったと感じさせるものでした。
- というより、素人の、何の心構えもない状態だった私たちだったから、そんなふうにショッキングなものに見えた、感じた、ということなのかも知れませんが…
入院先の主治医には、その症状は 想定の範囲内だ という意味合いの説明を受けたのでしたが、たとえば、
父親に「ここ(病院や病室)にはいたくないから早く家に帰れるようにしろ! 」
と言われたときも、何をどう説明したらいいのかさえ分からないありさまでした。
大腿骨を骨折したときのことでしたから、
- なぜ病院に入院することになったのか、そして、
- このまま家に戻っても入院の前のようには生活はできないということ
- 手術を受けなければならないということ
- 手術の前に、人工関節が届くを待たなくてはならないこと など
をゆっくり、ちゃんと理解してもらえるようにと思いながら話しました。
けれど父親の反応は、
「そういうわけのわからない理屈で家に帰すまいとしているんだろう! 」
「理屈はいいから家に帰れるようにすればいいんだ!」- というものでした。
要するに、
そのときの私たちの対応は、せん妄は一過性の病気だからじきに症状はなくなる。だから、こまかい対応は不要だ?! と言わんばかりだったように感じますし、私も勉強不足だったと今さらながらに思うのです。
鳥取大学医学部の浦上 克哉さんという先生が書いた「認知症」という本にこんな説明があります。
⑨ 短く簡潔ないい方をする
一度に二つの話しをすると認知症の人は混乱してしまいます。できるだけ簡単ないい方で、わかりやすく一つのことだけを伝えます。たとえば、外出するときに「杖を持って電車に乗って行きましょう」といったらわからなくなります。「杖を持ってくださいね」「電車に乗りましょう」と状況に応じて一つずついうといいでしょう。
出典:浦上 克哉 氏著・「新版 認知症 よい対応・わるい対応 正しい理解と効果的な予防」
素人判断は良くないということも分かっています。
父のケースは せん妄 で、浦上さん が語っているのは 認知症 への対応の仕方。安易に混同してはいけないだろうということも分かっています。
ただ、順序立てて、ゆっくり理解できるようにと思いながら、父親に向かってたくさんのことを話したのは、いたずらに父親を混乱させるだけだったのかも知れない - そんな気がするのです。
浦上さんが言う
⑩ 一人の人間として尊重する
「認知症の人は幼児返りしている」といわれることもあります。たしかにそういう面もありますが、私はそれだけとは思いません。もの忘れがありますから、記憶力に関しては幼児返りしているかもしれませんが、感情面はしっかり大人のままです。楽しいことは楽しいと感じられますし、悲しいことは悲しいと感じます。心が空っぽになるわけでは決してありません。一人の人間としての尊厳をぜひ守ってください。
を実行しようと思うのなら、認知症、せん妄、あるいは老化によって人格がどんなふうに変化してしまうのか、うまく基本的な知識を持てないといけないなと感じます。
to be continued…