普段の生活のすぐ隣にあった おから の味
それほど大げさな話しではないのです。今さら・・・というような話しだと思うのです。けれど、「いつの間にかこんなに変わってきているんだな」と感じたことを残しておきたくなりました。
それというのも、ダイエットケーキを作りたいからおからを買ってきてというところから話しのはじまりです。散歩がてら、言われたように近くのスーパーに行って見つけたのは袋詰めされたおから。そのときに思い出したのです。いったい何年前のことだったでしょう、子どもの頃、母親に言われ、歩いて5分ほどのところにあった豆腐やにおからを買いに行ったときのことを。
小学校の3年生か4年生くらいだったと思います。うっかりすると地面に引きずってしまいそうになる買い物籠を、従弟とふたり、右と左からぶら下げて行きました。反対の手に50円玉を握りしめて。豆腐屋の前に立ち、おからがほしいと伝えると、店の裏手に回るように言われました。豆腐の仕込みをしていたときだったのだろうと思います。できたての豆腐が入っているきれいな水がはられた水槽のすぐ隣に巨大な木製の桶があって、その中におからが山盛りになって湯気をあげていました。
50円玉をさし出すと、店の人が「そのかごには入りきれんだろ。ふたりで持って帰れるかい?」と笑いながら、50円分のおからを買い物籠にあふれんばかりに入れてくれました。なぜか、その時の記憶はとても鮮明です。あの時のおからはいったい何キロあったでしょう。
今日、スーパーで買ってきたおからは100円たらずで300gの品。けれど、この小さなパッケージを手にしたときに、子どもの頃の思い出が重なって、今の自分の住まいの周りに、いったい豆腐屋さんはあっただろうかと思ったのです。どんぶりや鍋、時には皿を持って一丁、二丁と買いに行っていた豆腐、そして買い物籠にあふれるほどのおから。これほどまでに私たちの生活は変わってきたのだなと、あらためて感じたのです。
毎日の食卓にあった 日本酒の味
そして、日本酒の味でも、同じような変化を感じることがありました。
普段、私は晩酌をすることがありません。特に、日本酒を口にすることはほとんどないのですが、なぜかその私が一年の終わり、仕事納めの日を迎えて、熱燗で晩酌をしてやろうと思い立ちました。日常の仕事があまりに忙しすぎる、一年が終わり新しい年が来るという、年末年始の休みを実感できないほどの11月、12月を過ごしていただけに、急ブレーキをかけるように仕事の感覚を停止したいと思ったのです。
そう思い立って最初に気がついたのは、街にあった瀬戸物屋がなくなっていたということでした。ごはん茶碗や土鍋、徳利や猪口をたくさん並べたショーウィンドウがなくなっていました。商店街のどこにも、それに代わる店はありません。そう遠くない、大手の伊勢丹に行けば、日常の晩酌にはちょっとほど遠いと感じる値段の品を手に入れることはできます。けれど、私が思い描いていたのは、普段の、どこかの食卓で見ていたふぞろいの徳利と猪口でした。
少し離れたスーパーでも徳利や猪口がないと言っていいほど品がありませんでした。どこでもこんなでしょうか? 見つけたのは美濃焼きのラベルがついたわずか数百円の徳利と猪口。1000円たらずでそのふたつを買って、十数年ぶりの晩酌を楽しみました。
その住まい、土地柄に合わせた品ぞろえであろうことは十分に想像できますが、日本酒もパック詰めのものが少しあるだけ。自分がどんな世代で、どんな地域に住んでいるのかを再確認した年の瀬でした。