時間の流れと私たちのこれから
この記事を書いたのは、未来学者という不思議なタイトルで呼ばれたアルビン・トフラー氏が亡くなっておよそ1ヶ月がたったころ。トフラー氏の『第三の波』や『未来の衝撃』といった著書が書店に平積みにされていた様子を思い出します。
『未来の衝撃』は1970年、『第三の波』は1980年に発行された著書。
日本のカレンダーを重ねれば、昭和45年、そして昭和55年という時期。
社会学者エズラ・ヴォーゲル氏の『Japan as Number One: Lessons for America』(ジャパン・アズ・ナンバーワン)が発行されたのが1979年、そして1980年代の後期には、日本国内はバブルと呼ばれた時期がはじまっていた、そんな時代を前にして発行された著書だったのですね。
トフラー氏が情報化社会の到来を予見した1980年の『第三の波』のあと、Microsoft社が、まず、OSのインターフェイス部分を改造した製品としてWindows1.0 - それまでのMS-DOSをベースにして立ち上がるOS - を発売したのが1985年ですが、トフラー氏が当時語っていた “未来”、”第三の波” はもう私たちのものになっているだろうか?
トフラー氏の訃報にふれたとき、その当時に読んだ著書を思い出しながら、そんなことを思っていました。
一九五〇年代の初めごろ、スウェーデンを訪れたアメリカ人は、国がきれいなのにびっくりしたということを作家のエドワード・メーズが述べている。「恥ずかしいことだが、アメリカでは歩道にビールや清涼飲料の空ビンがころがっているが、スウェーデンではそれが一つもないのですっかり感心した。ところが、一九六〇年代までには、空ビンがスウェーデンのハイウェーに突然ころがりはじめた。
(中略)
ボール紙でできたミルク箱から宇宙飛行用ロケットまで、短期間あるいは一回きりしか使用されないものの数がだんだんふえ、われわれの生活様式に重要な位置を占めている。
アルビン・トフラー著 / 徳山次郎訳 『未来の衝撃』 より
今読んでも、私たち自身、すでに加速度がつき始めていた価値観の変化、環境や技術の進歩にどうついて行こうかと時代だったのだなということが分かります。ただ、当時の私たちはそのことをしっかり認識できていただろうかとも思うのです。
そしてさらに、私たちは情報化社会へと移行しようとしているのだというトフラー氏の言葉を読むと、20年、30年が経っている今がトフラー氏が予見が現実になっている時期なのではないのかとも感じます。
今日、第三の波の文明に適した情報体系を建設するにあたって、死んだように見える環境に対して、われわれは生命ではなく情報を付加しようとしている。
このような変革の背後には、言うまでもなくコンピューターがある。(中略)
コンピューターは超人ではない。壊れることもある。ときには過ち、しかも危険な過ちを犯す。コンピューターは魔法でもなければ、われわれを取り巻く幽霊でも魂でもない。ただ、第二の波の技術がわれわれの腕力を強化してくれたように、コンピューターはわれわれの頭脳の力を高める。人類が強化された頭脳力によって究極的にどこへ行くかは別として、このような性質を備えたコンピューターは、人類の業績の中でも最も驚くべきものであるとともに、われわれを不安にさせずにはおかない。
物心ついたときから情報環境にしたしむような時代が来れば、人間は今日では想像もできない自然で落ち着いた態度でコンピューターを使えるようになるだろう。コンピューターは少数の専門的技術者だけのものではなくなり、すべての人々が、人間や世界について深く考えるための役にたつようになるだろう。
アルビン・トフラー著 / 徳岡孝夫監訳 『第三の波』 より
” コンピューター” と呼ばれた技術はまだ私たちの生活から離れたところにあったことがトフラー氏の言葉の端々に現れていたのだと感じます。
当時、NECブランドのパソコン(パーソナルコンピューター)をプリンター付きで見積もってもらうと、値引き調整を入れても1セットざっと100万円。そのサイズ(パソコン本体、ディプレイ、プリンターを一式として)は畳1畳は大げさにしても、それほど巨大な製品だったということを思い出します。
トフラー氏が語った “未来”、そして情報化社会と現代はどんなふうにつながっているのか、あらためて確認してみたいと思います。