『老いの才覚』- 愛される高齢者になるためのヒント

求める自分が語られていると感じる

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時間がかかることに苛立ちを感じることもなくなったし、なぜ時間をかけなくてはいけないという理由も分かるような年齢になったら、怖れることなく時間をかけて備えよう - そうすることがなぜ必要なのか、もう説明しなくても分かるはず…

なぜかそう言われているような気がするのは私だけでしょうか?

子どものころ、
「男のなんだから…」
「もうお兄ちゃんになったんだから…」
「果たすべき役割をわきまえられる年齢になったんじゃないのか?…」
- いつでもそんなふうに、先へ先へを求められてきた余韻が残っているのでしょうか?

自分を考えるのに、そういう外からの判断や基準はもうたくさんだという感覚があるのに、なぜかこの「才覚」を求められている… 自分はそうなることができる、というような気がしてしまうのです。
それが自分でも不思議です。

自分でいることは簡単ではない - いくつになっても変わらないこと

そして、必要なお金がないのであれば、旅行も感激もきっぱり諦める。何かを得る時は対価を払う、という原則を思い出さなくてはいけません。それができない時は、したくても我慢し、諦め、平然としていることです。

老後は、一つ一つ、できないことを諦め、捨てていく時代なんです。執着や俗念と闘って、人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密接な関係があるはずです。諦めとか禁欲とかいう行為は、晩年を迎えた人間にとって、すばらしく高度な精神の課題だと私は思うのです。

出典:曽野 綾子 さん著・「老いの才覚 (ベスト新書)

「一つ一つ、できないことを諦め、捨てていく…」-
このことは、心身ともに健康か、病を得たとしても精神のたくましさ・健康さを持った状態でないとできないことのように感じます。しかも、できることなら、ある程度の時間をかけて進めたい…。

それが「静かに受容する」ということだろうなと思うのです。

それまでできていたことができなくなる… 多くの人の場合、それだけでも、精神的なバランスが崩れてしまう、「静かに受容する」ことはできなくなる - 父、あるいは母の晩年を見てきた経験から私にはそんな感覚があります。

「静かに受容する」には時間と準備が必要?! - わが家の場合

私の母がそうであったように、がんの宣告を受けただけで、”(明日の)朝が明ける” ということさえそれまでのように信じることができなくなる。できないことを諦める - 自分を納得させる - というのではなく、その時の自分と自分が生きている世界すべてを、受け入れざるを得なくなる。

受け入れざるを得ない状態で受け入れることで、できないことに諦めがつくかというとむしろその逆だったと思うのです。

なぜできなくなってしまったのか、どうすれば受け入れることができるのだろう… と迷いが深くなる一方で、回復ということにどんな希望を持てるのかは灰色のまま。検査の必要を告げられただけでまた別のバランスを奪われてしまう… そんなことの繰り返しでした。

だから、「静かに受容する」には波風の経っていない、心と体の平静が必要なはずと思うのです。

私の母の場合、後期高齢者医療制度を適用してもらう年齢になるころにがんになる危険を診断されてから、実際にがん切除の手術を受けるまで数年の時間があったわけですが、「一つ一つ、できないことを諦め、捨てて」いかなくてはならないということを飲み込めるようになれなかった - 思えばそれは不憫なことだったように思います。

父と二人、老後には何を大切に暮らしていくのか… そんな話しを交わす時間は持てなかっただろうなということは想像できます。

父のための介護の申請や家のリフォーム、それに続く父の大腿骨骨折、その治療や検査、そして葬儀 - その間2年以上の時間があったのですが、あとで考えてみれば、その同じ2年の間のどこかで母自身は体調に異変を感じていたのです。
だから、母が「静かに受容する」ための時間が持てたとすれば、父の葬儀・法要を待って受けたがん切除の手術のあと、父の遺品の一部を片付けようとした数か月間だったろうと思います。

精神的な訓練とか、事前の学習(?) のような時間なしにこの「静かな受容」ができる人がいるのでしょうか?

私の母の場合を思い出すと、「執着や俗念」と闘うことさえ、心身が充実しているに越したことはない - つまり、「理性とも勇気とも密接な関係がある」ものだとすれば、「静かな受容」というのは間違いなく精神の問題で、心身ともに健全な現役世代でいるうちに取り組むもののように思えてきます。

冒頭の一節は、著書の中の「一文無しになってもお金に困らない生き方」と題された章の中に語られています。「分相応、身の丈に合った生活をする」ことを前提に、「お金がないなら、旅行も観劇もきっぱり諦める」ことを原則に、時には「義理を欠く、冠婚葬祭から引退する」ことも必要だと言うのです。

私が父と母、二人の間で話し合う時間がなかったろうな、というのはそうした具体的な話しです。「子どもたちに迷惑をかけないようにするから」という一般論、方向性だけでなく、その中味です。

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母より年上だった父は母のがんを知ったあと、「自分の年齢くらいまでは生きてほしい」と言ったことがあったようですが、そのために母はどうすればいいか、ひとり残った母はどうすればいいかを、母ががんを発病するより前に話していてほしかったと思うのです。

子どもに迷惑をかけないように という思いも
がんのような深刻な病に向き合う という現実も
自分たちの経済力で越えられる困難かどうか という問題も

何か一つができなくなってからではなく、準備やその話しを余裕を持って進められるときに始めたい。
それが「きっぱり諦める」ための秘訣のような気がするのです。

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