心にやさしい陽射しと潤いを - 『人生はブレていい。』

『人生はブレていい。』 自分にそう言ってやれるのは自分だけ

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テレビ朝日で放送されている「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」 に出演されている泰丘寺 副住職の泰丘良玄氏の著書『人生はブレていい。』を読んでみると、立ち止まっては確かめたくなる話しがそれはたくさん語られています。

もしかすると普段私たちも認識していることかも知れないのに、別の言葉で語られるだけで自然と胸に落ちてくれることもあるのだということに気がつきます。

「二念を継がない」をやってみる

と題してこんなことが語られています。

「彼から、連絡ないなあ」って思ったとき。
「するって言ったくせに」ってイライラして、「なんでしてこないのよ!」と爆発する。

(中略)

ある事実や事象があったとき、そこから腹立たしい、悲しい、つらい、許せない・・・など、様々な感情が噴き出し、余計なことを考えてしまうのは、感情に囚われてしまっている合図です。
その気持ちにがんじがらめになると、他でもない、自分が苦しくなってしまいます。
「思考」は、注目することにより大きくなるという性質を持っているのです。
だから、そういうときは、余計なことを考えない「二念を継がない」という簡単なトレーニングをおすすめしています。

この言葉を読んで直感的に感じたのは、私が躾けられ学んできたつもりになっているものは、泰丘さんが語られていることとはまったくの逆ということでした。

「彼から連絡がないなあ」って一念がきたら、そのあと「連絡するって言ったくせに!」につなげない。「彼から連絡がないなあ」だけで終わりにする。その意味をつかもうとしない。

と、続いていく話しをたどるほどにその思いは強くなります。なぜでしょう?

forget your second desire

(c) Can Stock Photo / rfcansole

それは、相手の気持ちを思いやることが人として欠かせない大切なことなのだと教えられてきたからだろうと感じるのです。

たとえば

普段ならとっくに帰宅している時間をはるかに過ぎても家族の帰りが遅い。その家族が、今夜は仕事で遅くなると言っていたとすれば “その意味をつかもうとしない” でいられるでしょうか。

まだ帰ってこれないとすれば・・・、よほど仕事が大変なのだろうか。電話で様子を知らせてくれることもできないとしたら・・・

自分を心配させてと相手を責める気持ちにならないとしても、 “その意味をつかむ” ということは私たち人と人をつないでくれる自然な思いやりとして、私たちの感覚の中にも溶けているものなのではないのかと思うのです。

また、たとえば

私が出会ってきた教え - 教えと言えば聞こえはいいのですが、どちらかと言えばダメ出しとして聞かされた説教というほうが分かりやすいでしょうか。「一を聞いて十を知る」人になりなさいという言葉です。

(分からないことはちゃんと教えを乞うことが必要なのだという「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」とダメ出しされ、聞いていいのかいけないのかどっちなんだ?? と悩んだことがあったようにも思うのですが^^; )

今はもう死語になっているのではないかと思うほど耳にすることがなくなった言葉に「洞察力」という言葉がありますが、「一を聞いて十を知る」人になれというのは、集中力、洞察力、理解力のすべてを総動員して人に、仕事にあたりなさいという意味合いで引き合いに出された言葉だったのでしょう。まさに “その意味をつかもうとしない” のでは人間社会を渡っていく資格はないと言わんばかりの教え? - 注文?? - だったような気もします。

MEMO:
洞察力とは一言で言えば「物事の本質を推察し、見極める力」ということ。まさに1つ事実1つの事象の隠れた意味さえ検知し、理解する力と言っていいでしょう。

今で言う「空気を読めよ」という言葉にも通じるでしょう。言わなくても雰囲気で分かるだろ?! という意味ですし、しかも、洞察力なんて特殊能力? を求めているのではなく、誰でも分かるだろ!? というレベルで言われることもあるくらいですから。

空気を読むこともできないのだからあいつは・・・と言うとしたら、その発想はそれこそ二念を継いでいる話しのように感じるのです。

つまりは、 “その意味をつかむ” ことが自然だし、正しいことだと思いながら生活している私たちにとって、「二念を継がない」という教えはまさにカルチャーギャップ - 何が正しかったのだろうと悩ましい思いを抱かせてくれるもののように感じます。

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『ブレていい。』と語られているのはたぶん、欲に囚われ、欲に傾いたまま念に弄ばれてはいけないということなのでしょう。

人として生きていく日常には私たちを欲に結び付けることがあまりに多い。”意味をつかむ” べきことと “意味をつかもうとせず” 受け流した方が良いこととが混ざり合っている。その中で相手にも自分にもやさしい生き方を探すのであれば、二念を継がないことを覚えなさいということのように思います。

僕たちは嫌なことがあったときほど、そのことが頭から離れずなかなか受け流せません。
最も受け流すべきときに、最も受け流せない。そういうところがあります。
そんなときに便利なのが、
「ただ、それだけ」という考え方です。

私の中には「あるがまま」という言葉があって、その置き所を探しているようなところがあるのですが、二念を継がずにという話しの中にまだ形にならないヒントがあるような気がしています。

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