自分を活かす、仲間を活かす。あなたはどちらのタイプ?
ラグビーのワールドカップで覚えたのは ONE TEAMという言葉は、
みんながひとつの目標に向かって、ひとつになって闘う… そんな意味だったかな?
私は自分を “体育会系” - 古い言葉ですね!^^; - の人間(と自分では思っている)だと思っているところがあって、会社勤めをするようになってからも、「仲間とみんなで何かをする」のが仕事だと思っていました。
けれど、仕事の上の役割りをどう果たせばよいか、最近私が職場で感じているのはOne for All, All for Oneのディレンマなのです。
それは
- 仕事のあとを託すということ、そして
- 自分のこれからを考えたり行動したり
のバランスをどうとればいいだろうというものです。
特に、年齢の若い人たちに仕事を預けられるようにと引き継ぎに取り組む中で感じているのがこのディレンマです。
仕事の引き継ぎなんて簡単??
そもそも、仕事とプライベートを同じ枠の中で考えようとしている? としたら、ディレンマを感じても当然かも知れませんね。なぜ、そんな考え方をしているのでしょう?
「どう仕事を引き継げばいいだろう」というのであれば、話しは簡単でしょう。一般的な手順で引き継げばいいのです。
つまり、必要な情報を簡潔にまとめてファイル化でもして、それを渡しながら「あとはよろしく」とやれば話しはおわりですから。
同じ仕事も、取り組む人間が変われば目標や計画の立て方も違えば、アプローチの仕方も違うのですから、引き継いでくれる人を尊重する意味でも、より簡潔・より効率的に引き継ぎを終えなくてはいけないようにも思います。
会社という組織のためを思うと、まさにこの効率的なやり方に徹するべきなのかも知れません。
それが分かっているのに、なぜディレンマを感じるような考え方になっているのか -
なぜなら、“会社のためには” は本当に正しいのだろうか? という疑問があるからなのです。
効率を高める・利益の追求 <> 従業員満足度
個人の時間が仕事を実現しているのだとしたら?
会社という組織の一員であれば、「会社のために」という発想が正しいだろうと分かっていても、これを「仕事のために」と考えてはいけないものだろうかと感じたのがディレンマのきっかけなのです。
たとえば、「効率の追求」というとき、そのためのエネルギーはどこから出るでしょう?
会社のため = 収益性の向上 = 効率の追求 |
もう何年もの間、私たちはこんな公式の下で仕事をしてきたように感じるのですが、
実は、この公式は直列方式の一方通行のものではなく、たとえば、
会社のため = 収益性の向上 = 効率の追求 |
評価 ↓ |
↑ 貢献 |
やりがい = 目標の達成 = 集中力の維持 |
こんな二重構造の一部だったのです。
私たちは自分の時間の一部を労働力として提供し、生活の糧(給与)を得ている - そのことを「会社のため」に直結させるのであれば、「やりがい」という個人の側の要件は必要がないことになりかねません。
ところが、それでは集中力は低下し、生産効率も下がる。結果として、効率は下がり、収益も下がる。
そのことが分かっていても、個人の側の要件 - つまり、エネルギーを補給することなく「効率の追求」とか「収益性の向上」ということばかりが言われてきたのではないか…
その疑問が、仕事とプライベートを同じ枠の中に置こうと考えはじめたきっかけなのです。
とすれば、「会社のため」ではない「仕事のための」引き継ぎというのはどういうことになるでしょう?^^
to be continued…