意見交換といえばスムーズに進められそうなきがするのですが
ブレーンストーミングというのはそもそのどういう意味でしょうね?
そもそもこのブレーンストーミング、
1941年に良いアイデアを生み出す状態の解析が行われた後、1953年に発行した著書 Applied Imagination の中で、会議方式の名称として使用された。
出典:Wikipedia・「ブレーンストーミング」
といいますから、ずいぶん古くからある方法なんですね。
ただ、今の私たちの方法が本家「ブレーンストーミング」の作法にのっとったものがどうかは、ちょっと疑問が残りますが^^;
よく考えてみると、方法論はともかくとして、私たちは「出る釘は打たれる」の文化で暮らしているのかな? と思うくらい、自分の意見を表現する人が少ないし、人の言うことに対する反応が薄い人たちが多いよなぁ⁉︎ と感じます。
なぜなんでしょう。
たぶん思考パターンにあっても、私たちは縦社会に慣れているんでしょうね。
多くの人が集まればそれだけ、その場を取り仕切る? 人がいて然るべき… といった意識が自然と働いて、うっかりしたことを口にしてはいけないというブレーキがかかる。
だから、主催者がいて、たとえばミーティング開始のきっかけ - 呼び水 - になるようなリーディングインフォメーションを出してやらなくてはいけない。それと同時に、いや、むしろそれより前に、ミーティングを進めるときの約束事を共有しておかなくてはいけないだろうということは、容易に想像ができます。
効果的なブレーンストーミングには鉄則があります。もっとも大事なルールは、「悪いアイデアなどない」と言うことです。アイデアにケチをつけてはいけません。どんなにおかしなアイデアだと思っても、そのうえに積み重ねていくことが大切です。出されたアイデアはすべて尊重し、しばらくの間考えてみるのです。ブレーンストーミングとは、面白いか面白くないかにかかわらず、あらゆる可能性を探る方法です。これは、プロジェクトの「探査」の段階であり、意思決定を下し、資源を割り当てる「発掘」だんかいとは区別する必要があります。
出典:ティナ・シーリグ氏 著・
「未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学 集中講義II」
それでも不思議なことは、結果の出ないミーティングや結果を出すことが前提になっていない会議は非効率だし、無駄だという感覚はなんとなく共有されているようなところがあるように思います。
意見交換とか情報交換はメールでできるだろう!? なんていう言葉に出会ったこともあるくらいです。
要するに、意思決定の権限を持っている人からの一方通行で仕事の指示だけがくればそれでいいだろう?! ということなのでしょうか?
みんなの意見・考えを集約することが目的だと説明しても、意見や考えを表明してくれる人はほんの数えるほどにとどまる… なんとも困った状態だと思います。
私などは、「ブレーンストーミング」といえば、お互い同じ目線、同じ立場で意見を交わす… というようなイメージを勝手に持っているのですが、ブレーンストーミングにもルールがあるとか、必要だと聞かされるとちょっと複雑な気持ちです。
仕事の現場で行おうとするブレーンストーミングは、ただのお茶のみ話しではなく、何かの目的を持って行われるもの - もしそうだとすれば、直接・間接の違いはあるでしょうが、何らかの成果・結果を目指すものということになるでしょうか?
そしてもしそうなら、その成果とか結果に対する責任を回避したいという心理がはたらいて、みんなの言葉を聞くことができない… なんていう状況に陥ることになるのかもしれませんね。
私の職場では、今週、みんなで同じ時間を過ごしてひとつの技術についてのレクチャーを受けたあと、その技術をどう活かすかを考えなくてはなりません。
そのはじまりはブレーンストーミングになるのではないかと想像していますが、はたしてうまく意見を交換することができるか…
まずは、「悪いアイデアなどない」のだということを共有するところから話しをはじめてみましょう。