何のための情報か
私は外国製品のマニュアルやカタログなどを日本国にする仕事に就いているのですが、そうした仕事の中で扱うことの多い自動車という製品はモバイル/ネットワーク技術に近づいている - それが、最近の私の感覚です。みなさんはそんな変化を感じていないでしょうか?
翻訳の仕事を通して見ている製品や、私たち自身の製品に対する要望の変化 - そんなものを確認する必要に迫られることがしばしばあるのですが・・・
ブログを書く動機は、翻訳という仕事を続ける動機につながっている - そんな私にとっての“伝える”ということの意味を確かめてみると、誰に・何を・どんな言葉で伝えれば良いのかが分かってくるようにも思います。
私たちを包む変化 - 伝えようとするものの正体とは
たとえば、製品に添えられているマニュアルはずいぶん形が変わってきていると思うのですがどうでしょう? iPhoneなどのように、基本的にはマニュアルそのものを持たないという製品にも、取り立てて違和感を感じなくなるくらい普通のことになってきていますね。
それはひとつには、本体の製品が変化していることの現れだろうと感じています。一番身近な例をひとつあげるとすれば、携帯電話。
- 受話器を上げ、ダイヤルして - とは今は言いませんね - 話しをする。
- 話しが終われば受話器を戻す。
そうした電話としての本来の機能は一応付いていると言うほどに、ネットワーク機能の方がバリエーション豊かです。アプリでもオンラインでも、ゲームを楽しむのは、通話ではなく、接続という携帯電話の新しい機能があればこそです。
その昔、携帯電話のパッケージのほとんどは印刷されたマニュアルでした。
- 電話のかけ方 からはじまって
- マナーモードへの切り替え方
- 留守番電話の設定の仕方や留守録の聞き方
- 着信拒否や
- 緊急災害時の伝言板の利用の仕方など
どのメニューからどんな操作をどんな順序で行えばよいかがこと細かく丁寧に説明されていました。
そ れまでのガラケーと呼ばれたタイプの携帯電話がiPhone、スマートフォンになるのに合わせてマニュアルという、いわば部品のひとつがなくなった - 私はそう感じているのです。ガラケータイプからiPhone、スマートフォンになる、それは携帯電話 - 通話のためのツールが、接続のためのツールになったということを意味していると思うのです。
どこかでどなたかが言われていることなのかも知 れません。言わずもがなの、常識と言えるほどにあたりまえのことなのかも知れません。ところが、そうした製品イメージを説明したり、示してくれるというこ ともなくなってきているように思われる、そんな傾向が強いもの今の製品のあり方のように思います。
今という時代がそれとなく見えたなら - 伝えるための言葉に
私が仕事の中で扱うことが多い自動車は、いったいどんなところが変化しているのだろうと考えたり、確認する機会も増えています。
移動の手段として走りはじめた自動車は、やがて乗り心地や安全性、経済性、どれほど環境に優しいかといったさまざま要素を品質に取り入れながら走り続けています。かつては速く、遠くへと言っていた走る製品が、居住性とか肌ざわりと言うような要素さえ大切にするものになってきています。
リビングにテレビを置き、WiFiを使ってテレビとネットワークを接続する。映画や楽曲を組み込まれたインターフェース - これもアプリと呼んでいいのでしょう - で購入し、リビングのソファに座って楽しむ。
それと同じことが、自動車のキャビンの中でもできる時代です。自動車のキャビン空間に合わせて設計されたサウンドシステムやスピーカーと組み合わせて、ディスプレイこそ数インチの小さなものでも、お気に入りの時間を過ごすことができますね。
iPhone、スマートフォンが通話+接続のツールなら、自動車は走るための数えきれないほどの機能+価値観+接続のツールになってきていると言えるでしょう。
そ んなふうに製品が変化しているとすれば、それは当然のことながら、私たち使う側の要望や価値観が変化しているということだろうと思います。製品そのものと それを使う私たち自身の感性というか、心情というようなものを理解してようやく、私が仕事にしているマニュアルの翻訳という作業もスタートラインに立てる のだと思うのです。