日本語の心、日本人の心?

日本語という言葉たちを外国の人に気づかされる

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日本人ではないけれど、日本に20年以上住み、翻訳と出版の仕事をしている人 - なんと日本語を校正する仕事をしている人ですが - と話しをする機会がありました。

その時、その人の口から「最近、日本語の良さが失われていると感じる。首をひねりたくなる表現が増えていると思う」という言葉が出て、二の句が継げずに困りました。

情報の大量化、高速化の中で、言葉の読み方、書き方(入力方法という意味ではなく、言葉の選び方、文体という意味)はどう変わっているだろう、どんな言葉が求められているだろうと自分なりの勉強をしている私も、良く似た感覚を持ってきただけに、その人の言葉はちょっとショックでもありました。

私は以前、日本語の体系 - 基本的な構造という意味で - は、相手を敬う丁寧語を基本とするものだったという説明に出会ったことがありました。その時学び、なるほどと感じたとおりだとすると、確かにかつての日本語は時間のかかる、冗長と言われてもやむを得ないと思うほどに、繊細で書くのがむずかしい面があったように感じます。

相手を敬う丁寧語の体系の例として挙げられていたのが、たとえば

職場で仕事に必要なアドバイスを仰いだり、相談に乗ってもらうというシチュエーションでした。

  1. 忙しいところ、手を止めさせて申し訳ないが、ちょっと自分のために時間を割いてもらうことはできないだろうか
  2. (了承を得、相手が話しを聞く態勢になるのを待って)
  3. 自分の仕事でこういうことを必要としているのだが、その前のこのステップをどう進めるのが良いか
    アドバイスをもらうことはできないだろうか / アドバイスをもらうことができれば助かるのだが
  4. (相手の質問に答えたり、相手の話しを聞いた後)
  5. もらったアドバイスがとても役に立った。
    おかげで考えをまとめることができた。時間を割いてもらって大変ありがたかった
    仕事の邪魔をしてしまい申し訳なかった

丁寧語ですから、相手によって - 目上の人であればそれに合わせ、同僚であればそれにふさわしい - 適切な表現を選んでコミュニケーションを取るわけですが、常に相手を上に置いた心構えと表現で話しをする、それが相手を敬うということだという訳です。まちがっても

忙しいところ悪いんだけれど、自分の仕事でここが分からないのでこういうアドバイスがもらえないだろうか

と、自分の言いたいことを中心に、全体(1~5)を端折ったりしないしないのです。

もちろん、現代の私たちも1~5のニュアンスを伝えるように気をつけながら、相手との関係に合わせた言葉を選んで話しをしているはずですが、はたしてこの間合いを大事にしているかというと多分、そうではないでしょう。

自分はもちろん、相手も忙しい時間の中でのことですから(仕事に限らず)、話しは簡潔で分かりやすいのがベストだと誰もが思っているでしょう。そうした切り替えがあの頃に行われてたのだという感覚・記憶を持たれている方も中にはいるのではないでしょうか。こうした例からも、かつての日本語の精神とかそのための作法が変わってきたのだということが分かるのではないかと思います。

なくなった、かつてのような日本語を・・・などという話しではありません。今の自分はどんな日本語を話しているだろうという話しです。たとえば、書き言葉から話し言葉へ。言い換えるなら「より簡潔、簡単に」という変化は良い悪いではなく、言葉が持っている性質なのだと説明する人もいるのですから。

夏と冬の富士山
(c) Can Stock Photo

富士山に重ねるイメージや想い

欧米の人と言葉とか文章の話しをしていると、日本語の文字は文字ではなくシンボルだという話しをよく聞きます。学生のときに習った言葉に表音文字表意文字という言葉があったのを覚えているでしょうか? アルファベットは単語としてまとまった形にならなければ意味をなさないけれど、日本語の文字は一文字で意味を持っているのです。

先ほどの、丁寧語の例とは少し違いますが、日本人の語感 - 日本人にとって文字はどんな意味を持っているかという話しもあります。

よく言われるのが、富士山の例。さえぎるものがなければ、日本本土のかなりの場所から姿が見えるという富士山ですが、みなさんは富士山と聞いてどんなイメージを持たれているでしょうか? どんな富士山を思い出しますか? たとえば、夏の黒々とした富士山でしょうか? 冬の雪で光る白い富士山でしょうか?

漢字一文字一文字で考えても富士山の例がよく分かるのではないかと思います。

赤  紅  茜

たとえばこの3文字はどんな意味、どんなイメージの漢字でしょう?

富士山という言葉にしても、この3文字にしても、読みながら - というより、見た瞬間に - その文字に重なるイメージを見ている、それが日本人の語感だと言うのです。

の一文字を見て「わたし」をイメージするか、「わたくし」をイメージするか、その語感がその人の相手に対する姿勢が現れているという人もいます。

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Schwarzwalt (シュバルツバルト)、そのまま日本語にすると「黒い森」。ドイツの人に聞いてみました。この言葉、名称はどんなイメージですか? と。この黒はどんな色ですか? と。もちろん個人差や年齢差などあるでしょう。けれど、特定の地域を指す名称で、色のイメージなどと考えたこともないという答えがありました。

そのまま結論付けるのは無理があるでしょう。けれど、私たち日本人の語感を理解するには、よい例のように感じます。

さて、あなたの語感、相手への視線はどんな日本人だと思いますか?

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