品質が良い・悪いと言うとき、私たちは何を基準にしているのか

私たちが問題にする「品質」というものの意味

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品質って何のことなのか

私は取り立ててISO信奉者ではありません。その昔、品質マネジメントシステム(ISO9000)なるものを勉強したり、その運用に関わった経験があるというだけです。ただ、その経験のあと、ISOの縛りがないところでも、どうも私たちの仕事というのは品質の良し悪しということから離れるわけにはいかないらしいと感じてきました。

どういう品質が良いのか、何がどうなっていたら品質が悪いということになるのか。それがことあるごとに問題にされていると思っているのです。

当然と言えば当然。
たとえば価格が同じなら、製品の品質は高い方がいいに決まっています

ただ私はいま、その品質の定義は製品が変わったり、それを求めるお客さんが変わると変化するもなのだと思っているのです。製品が違うと品質がかわる、これも一見あたりまえのように思えます。たとえば自動車とほうれん草の品質が比べられるはずもないのですから。

そうではないのです。
たとえば同じ自動車だけれどA社のものとB社のものという意味です。その自動車が農作物でも、お菓子やケーキでも、ペットボトルに入った水でもいいのです。

その製品に “あたりまえの品質”

そもそも製品は2つ3つとならべてどれが良い、どれが悪いと比較できるものなのでしょうか?

たとえば自動車の燃費性能。
同じ距離を走るのにかかる燃料の量が少ない方が環境に優しい良いクルマ。かかる燃料がたくさん必要なのは環境にも、ユーザーのお財布にも優しくない悪いクルマということになる。

そうやって客観的な基準を使って比較できる品質というものもあるでしょう。ISO9000のマニュアルの中でも「できあがり基準に沿っているかどうかの度合いによって決まる」のが品質だと説明されています。

そして、+αの品質

だからこそ、と言えばいいでしょうか。私の疑問が出てくるのです。
自動車の燃費性能のように、客観的な判断基準だけを頼りにクルマという製品は作られているでしょうか? どうもそうではないように思えるのです。

走る・止まるという基本的な性能や、同乗者の乗り降り・乗り心地・安全、あるいは操作のしやすさとか触り心地とか、考えられる限りの項目を上げてみると、クルマにあってほしい性能(”あたりまえの品質”)とすべてのクルマに求めることはできないだろうという性能(+αの品質)があることが分かります。

しかも、どのくらいの値段であってほしいなど、買う側の主観によって判断がさまざまに変わってしまう項目がからんでくると良い・悪いの判定もそう簡単にできるものではないということが分かってきます。

それでも私たちは品質が良い・悪いという判断を必要としている。それがとても不思議なのです。

品質の良し悪しは比較しなくては分からない!?

もう1つ不思議なのは、たとえば、WindowsやiOSのようなソフトウェアやOSの品質です。

WindowsもiOSもみんなが知り、使うようになって何年もたっていますから良い・悪いの判断基準はしっかりしているように思うのですが、ちょっと考えてみると、私たちは比較しながら品質を判断しているということが分かるのです。

私たちはWindowsの良し・悪しをどう判断しているのか。ほとんどの場合が前バージョンとの比較ですね。私たちユーザーの希望に合っているかどうかだって考慮されている! と思いたいのですが、その私たちユーザーの希望そのものが、旧バージョンをベースにしてああだったら、こうだったらという要望のまとまりです。

たとえば、

  • キーボードを使わない文字入力 とか
  • マウスを使わないカーソル移動

という要望はなくはないのかも知れませんが、製品にならないということは、旧バージョンがベースになって新しいバージョンの評価が行われている - つまり、

  • 文字入力はキーボードで行う という既存の機能
  • カーソルを移動するには、矢印キーかマウスを使って行う という既存の操作方法

があるからでもあります。

OSのメーカーも利益追求を目的に開発をするのだから・・・という話しがあるでしょうが、MS-DOSや初代Windowsが生まれた頃はどうだったのだろうと思うのです。

別の例で言えば、AIの研究もとんでもない可能性を秘めているという限りなく確実に近い勝算があるから続いているのでしょうか? そうではないですね。先行投資に近いモチベーションや動機を持った人たちはAI不遇の時代を支えてきたから今日があるのですものね。

つまり、目指す品質があるから製品ができるのはなく、開発された機能がひとつの製品になるというケースもあるのです。

言い換えれば、「品質って何だろう」、「品質の良し・悪しはどう決まるのだろう」という疑問に応えを出すには、製品の性質という意味の品質使う人の要望の両方が分からなくてはいけないということです。

分かっているようで分かっていない品質

品質を大事にしたいと言いながら、品質を正確に説明することができていないということも意識しなくてはいけません。

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「もっと品質の高いものを」 - 私たちはどんな意味でその言葉を使っているかと言えば、いつでも仕上がり具合や性能・機能、使い勝手など製品のことを言っています。
ところが、その仕上がりがどうであってほしいのかを説明しようとしていないということがある。

「品質が悪い」とか「品質が高い」と言っただけで、自分の求めているものが相手に伝わっていると思って使っているということです。

“あたりまえの品質”、”+αの品質” 、そして “私たち自身の要望” - そのバランスで成り立っているのが本当の意味での「品質」なのです。

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