優しい歌に感じる家族、そして私自身
とても個性的なメロディ - それがお気に入りの理由だったように思うのですが、小田和正さんの「たしかなこと」という楽曲、ご存知ですか?
この曲を聴いていて感じるのは、この曲の10数年の間に、私の感性はずいぶん変わったんだなということです。
私は、今よりももっと現役世代の真ん中に近いところにいて、家族のため、自分のために仕事をして暮らすことがあたり前のことと感じていました。そのころの私には分からないことがたくさんあったなと思うのです。この曲のメロディを聴き、歌詞をなぞっていくと、そのことをつくづく感じます。
自分のこと 大切にして
誰かのこと そっと思うみたいに切ないとき ひとりでいないで
遠く 遠く離れていかないで疑うより 信じていたい
たとえ心の傷は 消えなくてもなくしたもの 探しにいこう
いつか いつの日か見つかるはず作詞/作曲 小田和正 さん・「たしかなこと」より
「切ないとき ひとりでいないで 遠く 遠く離れていかないで」-
私の中でこの歌詞は、母の言葉を聞いていながら自分の思いから離れることができなかった父の姿に重なって聞こえるのです。
「出会ったときから君を愛していた… そのときの自分を失わずにいて君をみつめていく…」
そんなふうに続いていくこの歌詞は、自分が自分でいるということは、誰でもない自分が決めることなんだと言えた20代のころの私自身に重なっています。けれど、それから何年も何年も時間が過ぎる中で、そんな私も、自分自身でいられなくなるんだということを、父の姿に学んだのです。
父が大腿骨を骨折し、手術やそのあとのリハビリに向かおうとしていた時がありました。母のためにと思えば、どんなに辛いとしてもリハビリにも立ち向かえるだろう…立ち向かってほしい… と私は思っていたのですが、そんな思いは父には通じませんでした。せん妄という症状の中で、父は私たちが知っている父ではなくなっていました。
世をはかなむようなことを言わずに前のようにふたりで歩こう… 母はそんなふうに話しかけていたらしいのですが、その母の言葉や思いは少しは父に届いていたのじゃないかと思います。母や私たちのところへ帰ってこようと思えない症状に苦しんでいたのかも知れませんが。
健康でいるということがどれほど幸せなことか -
だから私は、そんなふうに感じるようになったのかも知れません。そして、自分自身でいられるように… それがかすかなバランスの上に成り立つものなのかも知れないとも思います。
明日は分からない… といたずらに悲観的になることはないんだとは思います。
けれど、自分を支えているのは、自分だけではない - 今はそう思います。
そう思うからこそ、「たしかなこと」が歌うように、自分が自分の心と体でいるということを確かめながら、今の自分の気持ちを自分の言葉にして伝えなければ、と思うのです。