終活 - 実家をたたむという決断とジェネレーションギャップ

実家は大切な財産だからこそ

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愛着がないわけではない実家を結局は人手に渡そうと決めたのは、以前書いたように、

  • 両親の闘病とそれにともなう医療と介護、葬儀、さらには墓所の購入にかかった費用
  • 空き家法(空き家対策特別措置法
  • そして自分の年齢と生活

をあれこれと相談したり考えた結果でした。

ただそれにしても、人に貸すなど、所有し続ける方法も検討していながらなぜ売却という決断をしたのか。

貸家として所有し続ける - 単純に考えれば、それで副収入も得られるだろうし、土地に対する評価額もあって固定資産税は微々たるもの。貸家として住んでくれる人を求めることも、その前、貸家として貸し出せるようにリフォームや清掃をすることも、業者との契約を持てば一括して作業してくれます。

にも関わらず、なぜ私はそうした現状維持の方向に行動を取らなかったのか。

ひとつにはその前、3年間に渡る間断のない公的機関との確認、申請、契約、支払い、解約、清算 - そのための住民票や戸籍の取得、銀行口座や果ては登録印章の確認、変更など - といった手続きが続いた生活に疲れていたということもあるかも知れません。

そして何より、両親の見送りを終えた時点で、”今は自分が両親と同じ立場に立った” という思いが強かったことがあったのです。もっと具体的に言えば、私は今住んでいる不動産をはじめとする自分の資産をどう扱うかを、自分に判断力と行動力がある間に決めておかなくてはいけないと感じたのです。

しかも、現役のサラリーマン業 - 当時は某中小企業の某部署で部長を務めていたのですが - と両立させなくてはならないという条件付きでした。

家族の思い出を確かめる_相続は家族最後の歩み
(c) Can Stock Photo

楽になりたいという発想はどこにもありませんでした。

あったのは、私の持ち物で私の家族が同じ負担にさらされることがあってはならないという危機感と、両親の持ち物はやはり両親の物でしかなく、私が愛着を持っていたとしても、私はそれを墓場まで持っていくことはできないのだという結論でした。

私自身の資産であってもそのことに違いはありません。

妻や子どもが生活を続けていくために必要なもの以外、”私の思い出” あるいは私でなければ意味の分からない “思い出の品” に妻や子どもが時間を割かれる必要はないのです。妻と子どもが私と共有できる価値を感じるものだけが残っていればいいはずだという結論を出したのです。

出そうと思って出した結論ではなく、自分はどうしたいのかを考えてたどり着いた結論でした。

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私が出した結論 - 人生観の集大成なのかも知れないと感じていますが - は両親に言わせると驚天動地、破壊的な考え方、感じ方、行動の仕方なのではないかと感じるところがあります。一家の長たる者であるとか、長男たる者といった “常識” で考えれば取るべき行動ははっきり分かるはずだと考えている人たちでしたから。

ただ、このジェネレーションギャップはどちらを是としても、否としても、その意味や結果を確認するのはあとを生きる私たちなのです。その責任を負うのも私たちです。

ですから、その連鎖を止められる限り私のところで止めたい、そう考えたのです。相続というのはやはりやっかいなものですね。

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