残された家族の心と生活を守るために

親子の間でもむずかしかった話題 - お墓に対する思い

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私の父は7人兄妹の下から2番目。一番下が妹(私の叔母にあたるわけですが)で、男兄弟の中では一番下でした。父の実家は静岡県でしたが、結婚して所帯を持ってからは仕事の関係で神奈川県、東京都と引っ越しをし、最終的に自宅を購入して埼玉県に移り住んだ人でした。

父は生前、知人の勧めがあってとある県のとある墓所を自分たち夫婦のために買い求めたいと思うがお前はどう思う? ということを私に尋ねてきたことがありました。今にして思えば、静岡県の実家の墓に入ることはできないのだから自分で墓所を用意しなくてはならない、その墓所を守ってもらうことはできるだろうか - そんな話しをしたかったのではないかと思うのです。

片や私はと言えば、40歳になっている自分を想像することさえできないというほど若さの真ん中にいて、父親の真意を想像することさえできませんでした。「あそこに買おうと思うがどう思う?」と聞かれたのですから、「見晴らしも良いし気に入っているのならいいんじゃないの」と応えたのでした。

誰が後を継ぐのかとか、墓参というイメージを持つこともなくです。

遺骨を納めるということ

pray to carry on
(c) Can Stock Photo

父の家庭観、親子観は封建的と言ってもいいほど、私の感覚とはかけ離れたものだったように思います。家長たる父親が決めたことに異を唱えるなんてことは、孝行の道に外れた恥ずべき行為だ - 要するに父には、「親の決めたことには黙って従え」というのに近い感覚があったのです。ただ、そうした価値観の食い違いでいら立ちを示すことはあるものの、普段は自分の価値観を押し付けてはいけないと自らを戒め我慢しているような人でした。その話しのときにも上意下達でこと足れりとはせず、私の意見を求めてきたという構図だったのです。

親子の間だからこそ自分の思いを伝え、相手の思いを受け止めることができない - そんな切なさがあるような気がしているのですが、両親の墓に関するその時の話しはその一言二言で終わってしまい、その後の第2回戦が持たれることはありませんでした。

自分で何とかしなくてはいけないと思っていたのではないかと思うのですが、結局、墓所のことを何一つ決めないまま父は逝ってしまったのです。

親子など家族に亡くなったとすれば、残された遺族は多くの場合、その人の遺体を荼毘に付し、焼骨をお墓に納めなくてはなりません。法的に云々ということもそうでしょうが、何より、亡くなった人の遺体は丁重に扱うことが必要です。

遺体を荼毘に付すことができるのは火葬場だけ。そして骨を埋めることができるのは墓地だけ。さらに火葬、埋葬を行うためには市町村長の許可を受けなくてはいけいないというルールがあることを考えても、遺体を丁重に扱うことの意味が分かるだろうと思います。

要するに、父はせめて、自分、あるいは自分たち夫婦の墓をどうしたいと思っているかという思いくらいは、残る家族に伝えておいてくれるべきだったろうと思うのです。遺骨を納める墓所を求めることはどうしても必要なのですから。悲しいことですが、わが家に墓があったならばそうしたむずかしさもなかったのかも知れません。

MEMO:
あえて確認しておくとすれば、「墓地、埋葬等に関する法律」による限り、遺体を荼毘に付し、収骨、そしてお墓に納めるのを “焼骨の埋蔵”と言い、納骨堂に納める場合には(やはり埋葬ではなく)”収蔵” と呼ぶようです。
また、散骨にも一定の制限があることを忘れてはいけません。

こうしたい、こうしてほしいということを言葉にすれば、残された家族に負担を求めることになる - 家族の負担を思いやる気持ちが強いほど、はっきりとした思いを伝えることをためらう思いは強くなることでしょう。
ただ、自分に万一のことがあれば、その時点から自分の遺体をどう扱うかの負担は否応なく家族に追ってもらわなければならない、そのことも忘れてはいけないだろうと思うのです。

その負担を負わなければ、家族はその後、静かな気持ちで暮らすことはできないのですから。

お墓というものに対する理解を

  • お墓の権利というものは使用権を得るのであって、所有権を持つのではありません。何らかの課税を受けるものではないということ。
  • お墓の使用権を相続するような場合も課税対象になるものではありません。
  • 土地の使用料であるお墓の永代使用料も課税対象にはなりません。
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わが家は私の名義で両親の墓所を買い求めたのですが、お墓がどういうものかを、私もそのとき初めて認識したというのが正直なところでした。

  • 購入のための金銭的な問題
  • 墓参をはじめ、墓所をどう維持管理するかという問題(精神的な側面と金銭的な側面があります)
  • 信仰がある場合、ない場合の心の置き所の問題

そうした項目のひとつひとつに判断をし、対処して名義人となった私には、この墓を維持管理していく責任が生じたことになります。

葬儀と葬儀のあとの家族の心の平安のために必要な墓所。経済的な負担や問題よりも、そうした精神面の必要性をしっかりと理解しておく必要があると思うのです。

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