終活 - 父の老化を予知することはできなかったか

体に現れる “症状” はいつでも “年齢” につながっているのだろうか?

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「老化」という言葉はできればあまり聞きたくない言葉ですね!^^;
けれど、ある程度の年齢を過ぎると、どうもこの言葉が意味することを自分の体のあちこちで感じたり、確かめたりせざるを得なくなるものです。

疲れがなかなか取れなくなってきたとか、最近ちょっと胃のもたれを感じることが多くなったとか、白髪が増えてきたかな…とか、髪が薄くなってきたかな… とか、

たとえば…
小さな文字が見えずらくなる老視。私たちが「老眼」と呼んでいる、目の見る機能に現れる症状ですね。「離せば(?) 分かるお年頃」? という何かのキャッチフレーズではありませんが、以前のように見ることができなくなる! という明確な症状になって現れますから、嫌でもその目の機能の変化には気づきます。

あるいは…
会社員であれば最低限、年1回の健康診断を受けますね。痛みや違和感といった自覚症状が何もないのに、体(内臓)の一部が変化しているということを知らされるケース - 要再検査とか要精密検査などという診察結果をもらうこと - もあります。

ただ、自覚症状がないとはいっても、検査結果の “数値” で示されますし、何より、自分の健康状態を確認しておかなくては… という意識で受ける検査 - 自覚を持って受ける検査だということが体の状態や症状と自分の意識をちゃんとつなげてくれる一番の要素だろうと思います。

気がつかないところで進む老化もある!?

ところがこの、自分の体に対する意識、自覚があるのかないのか、本人にもそばにいる家族にも分かりにくい老化というものがある(らしい)ということを知っておくことが必要なんだなと思った経験が、父の、「横になっていた方が楽…」 という症状でした。

それは、髪が薄くなったとか白髪やしわが目立つようになってきたかな… という目に見える、手を触れることができる変化がとても微笑ましいものに感じられるほど、もっと命にちかいところから出たシグナルだといえる症状だった - 少なくとも私にはそう感じられるものでした。

体はリウマチで衰えていったように見えた

リウマチを病んだ足腰が辛いのだろうなと思っていたこともありますが、父は、テレビを見ようとすることもなく、食後の散歩に行ってこようなどということも、庭先に出て夕涼みを… というようなこともなく、気付くとベッドに横になっているという暮らしを送るようになっていました。

私は実家に同居していたわけではありませんでしたが、いつの間にか父はそんな老人になっていた… という感じでした。

その症状は、実家を訪ねるごとにはっきりとしていきました。

そんな状態になる前は…
母とのふたり暮らしをしていた父でしたが、夕方、夕食の食材を求めて買い物に出かけるのは両親ふたりの日課でした。父は車の運転と荷物持ち。メニューに合わせて食材を選び、家に帰ってからの調理は母の仕事。そうやって過ごしていたのです。

その夕方の日課を、自分は家で待っているよと言って、父自ら出かけることを拒否するようになりました。父の体に何かが起こっている… そんなふうに感じたのは、そんな様子を見たときです。
やがて起き上がることはできなくなるだろう… そんな危機感がいっしょになった感覚でした。

そのころ…
食事の用意は、椅子と一体になった父専用の転倒防止のテーブルに整え、それから、ベッドに横になっている父に声をかけるのです。
父ははじめのうちは、ごく自然に目を開いて起き上がり、ベッドを離れて専用テーブルについていたのですが、やがて、食事が終わると、それまであたり前に楽しんでいた食後のお茶を飲むのもそこそこに、ベッドに戻ってしまうのです。

そしてさらに、その父は、ただ家で留守番しているというだけではなく、ベッドに横になったまま起き上がろうとしない… というようになっていきました。

父親に声をかけ、夕食の食材を買いに行く時間くらいは起きて歩いてほしい… そんなふうに思っていたのは、何といっても「立てなくなってしまう」「歩けなくなってしまう」という怖れを感じていたからですが、よくよく思い起こしてみれば、大腿骨骨折の事故は、実際に「立つことも、歩くこともできなくなる」限界いっぱいいっぱいのところで起こったのです。

  • リウマチの辛さがあるから体を動かさない
  • 体を動かさないことで足腰の筋力はさらに弱くなり、
    体を起こしておくことができなくなった
    座っていることもできなくなった
  • だから、横になっている方がらくだから… ということになった

当時の私たちにはそういうことに気づいてやることができずにいました。

私たち子どもが思っていたのは…
そもそも親父に向かってどうしろこうしろなど、言えるはずもないというような意識もありましたし、人にあれこれ指図されることを嫌う人だという父の性格。そして…

起き上がれなくなる、立てなくなる、歩けなくなるということに対する、漠然とした恐怖心のようなものだったと思います。

血圧が下がってしまう、心肺機能も衰えてしまう… むせやすくなったり、精神活動も低下し、横になったまままくらから頭をあげることがままならくなる。しかもその悪循環を断ち切ることができなくなる… そんな具体的なイメージが持てないまま、ただ怖れから、父を叱咤するようなことしかできていなかったのではないかと思うのです。

父にもそうやって躾けられてきたのだから… というような感覚も手伝っていたかも知れません。

認知症は気がつかないところで静かに進むもの - そんなことが言われますが、
体の衰えを助長してしまう要因は、もしかすると私たち家族の側にあったのではないか - そんな反省もあります。

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意欲の低下というものが老化のひとつの症状だということを知ったのは、父が亡くなったあとしばらく経ってからのことでしたが、意欲はだた気持ちだけが弱るわけではありません。心の衰えは体の、あるいは活動の衰えにつながっています。

そして一番大切なことは -
意欲のような心の問題は、結婚をして家族を持っているのであれば、本人ひとりの問題ではないということだろうということ。つまり、父の体の変化 - 老化の中の重いシグナルを感知するためには、「父の体のこと」ではなく、「自分たち家族のこと」というほどに自分の身近に感じる捉え方が必要だったと思うのです。

to be continued …

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