高齢の親がひとりになったとしたら - 『「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法』

子どもにできることは見守ること

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たとえば父を亡くし、母がひとりになってしまったとしたら、母の感じている喪失感をどうやって慰めたらいいでしょう? 特にその母が80歳を優に超える高齢だったとしたら。
“ひとり” ということと、ひとりでその高齢を重ねているとにさみしさのようなものを感じているとしたら。

特に何を… と言うことができそうもないのだけれど、せめて目を離さずに見守っていよう - そう感じます。

思いを察する優しさを忘れないように

昭和はもちろん、大正、明治という時代の人たちの気質に触れて育った経験を振り返ってみると、父より祖父、祖父より曾祖父というように古い時代の人たちほど、自分を苦しめる感情には果敢に挑戦しようとする気質があったと思うのです。

それこそ、理屈では太刀打ちのできない、その人の呼吸や血流のように “こうでなければ!” と体に染みついた “あたりまえ” があったのです。私にも記憶があります。「できないと騒ぐのは、自分で7回やってみてからにしろ!」 - そんなふうに。辛い、悲しい、できない… あげれば切りのないネガティブなものにも、あらがわず、さわがず、とりみださず対面しようとする。

だから、”ひとり” ということと、ひとりでその高齢を重ねているということのふたつにさみしさのようなものを感じていたとしても、そうした姿を人前で見せること自体があり得ないと捉えるのです。それだけに、本当の気持ちは胸の奥の奥にしまったまま。自分の本当の気持ちで相手を悩ませてはいけない、取り乱した自分を出してはいけない、何より親であることを忘れてはいけない… と、幾重にも自分を律する - 今の言葉で言うなら「縛る」 - 圧力がかかっている姿には頭が下がります。

ただそれでも、感じているさみしさをなくしてしまうことはできません。ちょうど、かさぶたになることができず、血がにじんでいる傷をずっとそのまま持ち続けているようなものと言えばいいでしょうか。

悲しみを癒す最大の薬、それは「時間」です。
私も身内を失った際、表現しがたい喪失感がありました。それでも時が経てば、次第に日常へと戻っていくものです。生きている限り、明日の生活があるからです。

そんな喪失感ですが、決して一人で抱え込まないでください。一人で悩むべきではありません。悶々と悩めば悩むほど、暗い淵しか見えなくなります。自分を責めすぎて心が折れる時もあります。

だから可能なら、自分が話しやすい人に話しを聞いてもらう、特にしゃべりたくなければ、せめて少しの間、あなたの隣にいてくれる人を探してください。気持ちがとても楽になります。

出典:矢作直樹氏著・「「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法

確かに時間は私たちにはどうすることもできない力を持っていると感じることがあります。そして私たちの心と言うのは私たちの思いどおりにはならないものです。

こんなことはすぐに忘れてしまいたいと思うことほどなかなか忘れることができなかったり、いつまでも決して忘れずにいたいと思うことは少しずつセピア色になって、いつか思い出すことがむずかしくなってしまったりするのです。

そして何より、喪失感の中にいるときほど、隣にいるのは誰かではなく、その人であってほしいと感じるものです。そんなときほど、「忘れることができなくて辛いんだ」 - と、本当の気持ちを言葉にすることができないのです。

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父をなくしたあと、母が言ったことがありました - 「自分の役目は終わったと思うんだ」と。

父の存在が埋めていた空間を埋めることができないという気持ち、この先、自分は何を力に生きて行けばいいか分からないという気持ち、(当時、がんの闘病のさなかにいて)たとえ直すことができる病だとしても、直すことに意味があるのか、自分はもうこのままでいいのではないかという気持ち - いくつもの気持ちを表していた気持ちだったろうと思うのです。

そして、まだ、家族に守られている私たちには分からない “ひとり” であることを訴える言葉だったのです。
だから、特に何を… と言うことができそうもないのだけれど、せめて目を離さずにいて、折を見ては話しかけよう、同じ時間を過ごそうと思うのです。

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