今でもマニュアルって必要なんだろうか?
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長いこと取扱説明書や整備要領書 - マニュアルと呼ばれるものと付き合ってきて確認してきたのは、製品を安全・快適に使ってもらえるようにするための情報 を集めたもの、それがマニュアルだということ。
そして、今一番頻繁に思うのは、マニュアルを作る必要って、いったいどれくらい残っているものだろう⁈ ということです。
私は今、AIが進化すると、いずれは仕事とは言えなくなっているのかも知れないね… と言われる翻訳を仕事にしているのですが、マニュアルというものにまだ、たくさん触れています。それだけに、マニュアルのような形で製品を伝えるということもいずれなくなるのではなかろうか?! と考えたわけです。
マニュアルに書くこと・書かなくてもいいこと?!
取扱説明書ってどんな状況で必要になるの?
たとえば -
iPhone の取扱説明書を例に考えてみると…
iPhone の電源が切れた状態で「電源をONにする」手順をどうやって確認すればいいだろう⁇ という問題があります。
iPhone にインストールされている Safari からアクセスできる iPhone ユーザーガイドには
iPhone の電源を入れるには、スリープ/スリープ解除ボタンをAppleロゴが表示されるまで押したままにします。
と説明はされていますが…
当然のことながら、このユーザーガイドは電源が切れた iPhone では確認しようがありません。つまり、この説明は、そういう異常な状態で iPhone の操作を確認したいと思っているユーザーのためのものではないのです。
たとえば -
ふたり目の iPhone ユーザーがそばにいて彼の iPhone は電源が入っている、そのユーザーが操作を確認したいと思っているひとり目のユーザーのためにこの説明を読んで操作方法を伝える… そんなシチュエーションでなければ使うことができない説明なんですね。
もしかするとこの説明は、新しく iPhone を買って、不都合や不具合がまったくない初期の状態で読んでもらえる… とでも前提にしているのかな? と考えてしまいます。この例はとても極端に感じますが、取扱説明書って本当に必要なんだろうか? ということを考えるには意外と取りかかりになる例なのです。
みなさんも違和感を感じたでしょ?
- iPhone の電源ボタンの位置が分からないなんていうことがあるだろうか?
あるいは
- 電源ボタンの「長押し」に気がつかないということがあるだろうか? … と。
つまり、取扱説明書が必要になる状況って、ユーザーが半分握っているのです。
取扱説明書の作成のそのむかし
その一方、取扱説明書を作る環境はどうなっているだろう?? という問題もあります。
取扱説明書作成の第1段階
紙とペン、定規やタイプライターを使い、ハサミやカッター、のりを使って組版と呼ばれる編集作業をしていたのはもう30年前後も前のことですが、マニュアルの編集がどんなふうに変化してきたかと言えば、一言で言って、デジタル化。
デジタル化というのは、特定のソフトウェアがなければ見えない・さわれないものにするということでした。
PageMakerやFrameMaker、今であればInDesignのような特定の仕事に特徴を持ったソフトウェアにデータを集めて、マニュアルの構成を整え、レイアウト作業のような同じ作業の繰り返しや、目次や索引の作成のように目と手でやっていた時間のかかる仕事を自動化しする - そうやって効率的な編集作業ができるようにしてきたのです。
ペンと定規、熟練した技術で引いていた罫線も、ソフトウェアを使って同じ太さ・長さに誰でも何度でも引けるようになって、ソフトウェアが用意してくれたページの上で、テキストや罫線、画像を直接操作する - Desk Top Publishing (DTP) - 方法でデジタル編集は進化してきました。
取扱説明書作成の第3段階
考えてみれば、DTP という技術が今のレベルになってからずいぶん長い時間がたっているように感じます。取扱説明書そのものが不要になっている?? とは言えないとしても、取扱説明書を作る技術はもう第3段階に入っていると思うのです。
第2段階を通り越してしまって第3段階です。
- 取扱説明書の内容とデザインを決める原稿作成という工程があって
- その原稿どおりに内容を編集する工程があった
- テキストを書いたり
- 画像を描いたり
- レイアウトを決めたり
というルール作り+その効率的な運用を完成させようとしていたのが第2段階なんですね。
その後の第3段階というのは -
原稿作成 = レイアウト の完了 というパッケージ化です。「取扱説明書の内容・デザイン」はテンプレートというパッケージになって、どのパターンを選ぶかという言ってみれば イージーオーダーの時代になっています。
そのデザインを時間をかけて作り込んでいる間に、ライバルに先を越されてしまう - つまり、ユーザーが必要とする情報をより高速・よりスピーディに発信しよう - 取扱説明書にはそんな意味も問われるようになっているのです。
「直感的なユーザーインターフェース」なんていう言葉やイメージが定着するようになって、手に持てば・さわれば使える⁈ のがあたりまえ⁈ - そもそもマニュアルを読まなければ使えない製品というのはいい製品なんだろうか⁇ なんていう感覚をもつ人たちさえ出てくるようになってみると、マニュアルの役割りそのものをスキップして、マニュアルの存在意義が問題になっているような気がします。
逆から言えば、マニュアルというのは、製品がどれくらいユーザーにとって簡単・安全・便利にできているかを示すバロメーターということになるでしょうか?
to be continued …