母のがん闘病に付き添って学んだLiving Willの意味

介護 - それは自分のためでもある?

スポンサードリンク

あの頃、私の胸にあった思いは何だったのだろう? 誰のためのものだったのだろう? と感じることがあります。

金を払えば母のがんを直せる… 母を救うことができるのだろうか?
そんな手段があるとしたら、誰に相談したら情報が得られるのだろう?

どれくらいの金が必要なのだろうか?
その金を準備することができるものなのだろうか?

母のがん闘病に付き添っていた時間が、今から思えば、半分を過ぎて、転移が判明したころだったと思うのですが、- 母を亡くす日が来ることは避けようがない! と感じ、それをどう受け止めればいいだろうという、恐怖のような感覚を持っていた時期がありました。

ある日の明け方、夢にうなされていたわけではありませんが、胸を強くつかまれるような強いショックを感じて目が覚めたこともありました。しかも目が覚めるのと同時に、いつくもの不安や疑問で頭の中がいっぱいになったのです。

検査や診察を受け、必要な相談をするために病院と実家を往復する。
介護サービスの内容を確認し、契約も決め、もらったアドバイスに合わせてサービスを受けるための準備や買い物も済ませた。

緊急時の支援を求めるため、実家がある地域の民生委員さんに相談したり、役所に必要な登録と申請も行った。

ふだんの母の生活を支援してもらえるよう、兄妹の間で話しをして協力も得られている…
自分の仕事を続けられるよう、ノマドな仕事の仕方を会社に了承してもらうこともできた。

- そうやって、得られる支援を求めて準備は終えていたし、思いつく限りのことをやったと思っていました。

治療も診察も拒んだ言葉、それが母のLiving Willでした

心配の種は残っていないはずだったのに、私の中に沸いた不安や疑問の塊は、半日ほど私の中にあったように思います。そしてその塊は、闘病に踏み込む前に母自身が診察や治療を拒んで私に向かって言った言葉を思い出したとき、消えたのです。

手の施しようがないと分かったとしたら、自分にとって、そこから先は無駄な延命処置。
自分はそういう延命処置は望まないと、母は言っていたのです。
医師や病院の助けなしでは生きられないとなったら、自分にとっては、生き続ける甲斐のない命なんだと、言っていたのです。

ところがその母が、治る! 治す! という望みを持って、闘病に踏み込みました。

治ることは望めないかも知れない。けれど、(父の遺志を思うと)生きことそのものをあきらめてはいけないのだろうと考え直した、母はそう言っていたのです。

その決意に寄り添ったときから、私の胸の中にも、母の命を長らえさせてやりたいという思いが生まれました。
いつ何があってもおかしくない。何があってもいいように… そういう覚悟のようなものを忘れないようにと思っていた私の思いのすぐ隣に、母の命を長らえさせてやりたいという思いが並んだのです。

「助けたい!」という言葉ではありません。「命を長らえさせてやりたい」… そう思ったのです。

不安のような、恐怖のような、答えを出せないと分かっているような思いが胸を満たしてしまった… それをどうすればいいだろうと戸惑いのような感覚を持ったとき、私たち子どもに向かって、診察も治療も受ける気はない! と言い切った母の言葉を思い出したのです。

思い出そうと思って思い出したのではありません。
不安や恐怖、迷いに交じって、胸の中に浮かび上がってきたというのが正しい表現だと思います。

付き添う家族にも力が必要なんだ

金を使えば助かる… もしそんな技術があるとして、それが母のからだや病状に効果を出してくれるかどうか分かりません。それを確かめるためは、それまでと同じように、合うかどうかを確認するための、母にとっては同じ検査をしなくてはならなくなる。

手術を受けると決心した母が実は、その準備としてMRIの検査を受けに行こうとして、恐怖にからだがすくみ汗をかき、体が冷たくなり、血圧が上がって検査をキャンセルしたということもありました。

母が「生きながらえなければ…」と思い定めていたとしても、ここから先は、母が言っていた「(母には)無駄な延命処置」と紙一重だと、そのとき気づいたのです。
金を使えるように準備をして母を生きながらえさせてやれるかも知れない可能性をさがす
そのことと、母が自然な歓びを感じることのできる延命は同じではないと、思ったのです。

あきらめるということと、あるがままを受けれるというのはまったく別のものです

もっと別の方法はないものか… それを探すことをやめるということは、

  • 母とはいつか別れなければならない

という現実を受け入れることにつながることでもあります。

けれど、私自身が母に語ったように、「病に憑りつかれてしまってはいけない」のです。
現実を受け入れるということは、「それで終わり」を意味するものではないのですから。

  • 病院、介護施設、ソーシャルワーカー/ケアマネージャー、役所、そして実家と自分の仕事 - その中で、できると思うことすべてをやろうとすることはそのままでいい。
  • 母とはいつか別れなけばならない - そのことも認知し、理解し、備えればいい。

そのふたつをごちゃ混ぜにしたのでは、母の思い - Living Will - を実現することはできないそれが私の結論でした。

All or Nothing ではないのです。
全身全霊をかけるのであれば、All and All でいいのです。

スポンサードリンク

頑張ったけれどかなわなかった… ではなく、少しでも生きながらえることができるようにと、できることのすべてをやって頑張った。それでいいのです。

そして、覚悟をしていても、それがいつになるのか医師にさえ分からないと言われた「別れ」も、まっすぐに受け入れた。それでいいのです。

その2つをいっしょにはしない。つないではいけない… 今はそう思うのです。
母の Living Will をかなえるために、私たち子どもが傷ついてはいけない… そう思えたのは母の Living Will に触れていたからこそだと思うのです。

スポンサードリンク

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。