「あるがまま」の自分を教えてほしい

「受け入れる」ということを覚えたら

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毎日毎日同じことだけを考え続けているわけではありません。あとになって考えてみると、ああ、自分が考えていることはどうも同じところを行ったり来たりしているなという意味です。
けれど、もうずいぶん長いこと「あるがまま」ということの意味を考えている気がします。

10代後半から20代のころ、「あるがまま」という言葉や意識はまだありませんでした。あったのは、「どうしたら自分をそのままに受け止めてもらえるのだろう」感覚でした。立ち居振る舞いも話すことも常に何かと比べられ、良いとか悪いとか評価されることばかりだと思っていたのです。

それが20代から30代にかけて、「どうしたら相手をちゃんと受け止めることができるだろう」という感覚になっていました。
誰に教わったのか、どこで覚えたのか自分でも良く覚えていないのですが、「自分を受け止めてもらいたければ、相手をちゃんと受け止められるようにならなくてはいけない」という感覚です。

10代後半から20代のころ「自分」を一生懸命アピールしようとする気持ちは少し静かになって、「自分をアピールしたいのならば、まず相手をちゃんと受け止めなければ」と考えるようになっていたのです。

何かよほど抑圧されていたのかと思うほど、「自分」とか「相手」というものに敏感だったなと思います。自分たちは人に囲まれて人との関わりの中で生きている、だから人を大切にしなくてはいけない - そんな思いが強かったのです。

  • たとえば、生活のために会社に勤めて仕事をする
  • たとえば、結婚という、自分の思いを実現する

私たちの思いや行動はすべて人に働きかけて、人と実現するもの - そう捉えようとしていました。

yes, this is me, i believe
(c) Can Stock Photo / evgenyatamanenko

30代の初めまでは自分の思いを確認しようとしていた時期。言ってみればイメージトレーニングをしていたと言うのに近いかも知れません。そして30代から40代になると、そうやって確認してきたイメージを生活の中で実地に使ってみて確かめる - だからフィールドテストの時期でしょうか。

思えば、30代40代というのは心身のバランスが取れて、エネルギーとバイタリティに富んでいる時期なのです。心も身体もたくさんのフィールドテストに耐えることができるからです。耐えながら、その経験をちゃんと消化して自分の血と肉にすることができるのです。

ただ、「あるがまま」という点ではちょっと違います。
エネルギーとバイタリティにあふれている分、自分の思いは自分で形にするのだという、言ってみれば切り開く力があります。どう言えばいいでしょう。「剛をもって剛を制す」とでも言えばいいでしょうか。すべてを真正面から受け止めることができる力です。

自分や相手をダメ出しすることなく - 否定したり批判する前にまずそのままに受け止めたい。その思いを私はいつの頃からか「自然な自分」、「自然な相手」と言うようになっていました。余計な飾りをつけず、自分にとって一番自然な自分、そして同じように相手にとって一番自然な相手という姿を求めるようになったのです。

そしてそれまでと同じように、自分で切り開く - そこまでは自分でたどり着かなくてはいけないのではないかという感覚は変わっていませんでした。

私が「あるがまま」という言葉を使うようになったのは、父と母の最晩年に付き添うようになってからだったように思います。自分で切り開くことができないことがある - それを確かめることの連続だったのです。

  • たとえば、せん妄
  • たとえば、リハビリ
  • たとえば、がんという病の進行、薬の効き方

そのどれもが、四の五の言っても仕方のない、まず受け入れなければならないことです。受け入れ、何ができるのか、どう対処すればよいのかを考える以外にないのです。

できることなら解決したい、対応したい。ならば、ああでなければいいのにと「ねばたら」を言っていても意味はありません。文句を言いながら何かをやったところで歓びも満足も得られず、フラストレーションが募るだけです。それはかえって切ない、悲しいことです。

であれば、まず受け入れなければならないのです。

自分の思い、自分の暮らしは、自分で思ったようにしかならない - それはひっくり返すと、自分で思ったことは実現できるということ。
そう思ってフィールドテストを重ねていたのに、その力では変えることができないのです。なぜなら、私のことではないからです。誰が望んで起こったことでもなかったからです。

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ただ、諦めて投げやりになり、流されるわけにはいかないという思いがありました。だから、「あるがまま」という言葉が生まれたのです。「なるがまま」と言ってもいいかも知れません。

私なりに見つけた「自然な自分」、そして「あるがまま」に向き合ってきた自分 - 今私は、自分の中にふたりの自分を感じています。

to be continued …

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