介護の支援はすぐそばにあるけれど
たとえば父の場合、大腿骨を骨折してしまうよりも前からリュウマチのために半身が思うようにならない不自由さがありました。
平らなところを歩くにも杖に頼らなければならず、その杖も先が4つに分かれて手を離しても自分で立っていてくれるような頑丈さと、安定性を持ったものでした。足を引きずってということはなかったのですが、歩く場所にはずっと手すりが続いていてくれれば安心なんだがというようでした。
介護保険で支援してもらったもの
当然、リビングやダイニング、バスルームやトイレなど父が動きたい動線に沿って手すりを付けたい、食事の際、立ったり座ったりするときに、体重を預けてつかまることができるテーブルがほしい - そんな希望を伝えながら介護申請をしたのでした。
介護認定を受けてからは介護保険の支援を得て、手すりやテーブルのほかに玄関と玄関前にあった駐車場をスロープでつないでもらったり、バスルームの入り口のドアを二つ折れの、片手で扱える軽いものに変えてもらったりもしました。
介護認定をしてもらう手順は
介護申請の手順のアウトラインは
- 主治医に主治医意見書を書いてもらい
- 自分が住む町の役場の介護保険課というような担当部署で申請書「介護保険要介護認定・要支援認定申請書」をもらって
- その申請書に必要なことを記入して申請します
- 介護保険資格者証が窓口預かりの形で発行され
- その後調査員またはケアマネジャーの訪問調査を受けます
- 暫定ケアプランを立ててもらえば認定結果が出る前でも介護サービスは利用できます
申請から認定の確定までおよそ1か月。想像しているより時間がかかるのです。
介護保険をうまく利用できるだろうか
介護申請をし、認定を受け、介護サービスを利用してみて感じたのは、介護は自立や回復を支援するものということでした。
ケアマネジャーや受け付け窓口の運用方針などが反映されていたりするのでしょうか。
もちろん、サービスを利用する本人の意思を中心にケアプランが組まれるのですから無理はないはずですが、ケアプラン - 直訳すれば支援計画とでも言えばいいでしょうか - というくらいですから利用の目的とか目標というイメージを求めてプランニングが行われるという感じがするのです。
リュウマチを見てくれていた主治医の意見書があり、本人の意向を確認して作られるのがケアプランなのですが、父の場合、何のためのプランなのかというイメージが持てないまま訪問調査に望んだという “不本意さ” が残っているような言動が目立ちました。
いわゆる “手続き” に対して理解や気持ちが十分についていけていないという様子があるときにはいやいや期の子どもと同じで本人の気持ちが頑なになりやすいだろうと思います。ですから、ケアプランありきではなく、あくまで本人の意志を中心にした生活を確保することを最優先にしてあげてほしいと思うのです。
もちろんケアプランが家族や本人の生活を縛るというようなことはありません。ありませんが、良かれと思う家族の思いが、ケアプランで本人を縛ってしまいかねないのです。また本人も、そうした被害意識を持ってしまうことがあります。
ケアプランはひとつの契約だという感覚が働いても無理のないニュアンスを感じさせます。決して悪気はないし、悪意もないのです。それでも本人が楽しみ、歓びを感じられるようになるには時間がかかるものです。
少なくとも父の場合はそうでした。
大腿骨骨折のあとは家族が持つ強迫観念が強くなってしまっても無理がないかも知れません。寝たきりになるのにそう時間がかからない原因 - それが大腿骨骨折だと聞かされるからです。だから、リハビリも頑張りましょう。サービスも十分に利用して体を動かせる日常を取り戻しましょうと励まされるからです。
確かに私の経験では、85歳を超えた高齢の父が寝たきりになってしまうのに長い時間はかかりませんでした。その強迫観念がケアプランで父を縛ろうとしていなかったろうかという反省をするのです。
ですから、親の高齢化がどう進んでいるのか、そのことを注意深く見守りながら、ケアプランも大らかな雰囲気でいっしょに取り組む - できることなら、そんな介護認定、介護申請であってほしいと思うのです。