Living Willのむずかしさ、確かさ

たった一度、たった一言 - それが家族を支える

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「親父やお袋に万一のことがあった時、葬儀はどんなふうにあげればいいだろう? 何か希望とか思いってあるのかな?」 - 数少ないチャンス、両親ふたりがそろっているとき、そして父親が今なら話しに応じてくれそうだと感じた時を狙って、一度、そんな話しをしたことがありました。
思えば、8年か9年も前のことだったでしょうか。

どんな話しがきっかけだったか、今はもう記憶が定かではなくなってしまいましたが、両親は信仰を持っている人たちで、その宗教に対する思いだったか、どこかの教会で相続の問題が持ちあがっているらしいというような話しをしていたような気がします。

父の信仰をめぐって、父と私の間には軋轢やら溝があったのですが、何気ないふうを装って聞いたのを覚えています。その後何年と時間をおかず、父の大腿骨骨折や母のがんが見つかるなど、相次いだのですから、今思えば、それが葬儀をめぐる両親のLiving Willを聞く最後のチャンスだったなと思います。

かみ合わなかった話し

母とはたくさんの話しができたと思います。

  • 延命処置
  • 実家の相続
  • 両親への思い
  • 生い立ち
  • 結婚 などなど

けれど、父との話しは、どんな話しをしても大体がどちらが是が非か、「その考えを正すべきだ」という方向に進んでしまうために、どうしてもかみ合うことがなったように思います。もし是が非かを言うなら、すべての人の価値観が是であると、私は思っていた(今でも思っている)のですからいたしかたのないことではありましたが。

“一度” そして “一言” に支えられて

ともあれ、私にとっては父と話しができた唯一のLiving Will。実際の葬儀のときには、その時の話しが、母や私を支えてくれたのでした。

父から聞いた話しを可能な限り実現しよう - その思いが母を支え、そんな母の思いを実現しようという思いが、そばにいる私を支えてくれたのです。

少なくとも、私と母は、父の遺志を確認するような話しはしませんでした。喪主という名目は事務方を差配する担当として私が担い、信仰に沿って葬儀の何をどんなふうに進めたいかは、父の遺志に近いところにいる母に任せたのです。

葬儀が進む間も、母と私の関係、距離感はかわりませんでした。特別何かを確認するということもなく、だからと言って、お互い特別に距離を置いていたわけでもありません。ごく自然に立ち振る舞っていたのです。

これもまた今になって考えてみて想うのは、がんの診断を受け、父の葬儀を済ますまではと感じていた母が、自分の心と体の手応えを確かめながら進めることができた、最後の仕事だったかもしれないということです。

もしかすると、私がたった一度と感じている葬儀をめぐる父との話しも、母と父の間では、何度も話し合っていたのかも知れません。ただそうだとしても、父との話しが私と母をつないでいたということにもなるような気もするのです。

支えもし、縛りもする - 強さの証し

葬儀だけでなく、埋葬も、もっと広く相続というところまで含めていいかも知れません。故人の思いを実現したいという感覚には、自分たちが想像する以上の力があるようにも思います。

父を失った喪失感を埋めて、ひとつの仕事を進めるのですから。

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父のLiving Willに支えられて… 父のLiving Willを実現するために… ということは、反対側からみると、父のLiving Willに囚われて… 自分の思いとは違うことを… という危うさと表裏一体のような気もしたのです。

自分はどうしたい?
その質問は、葬儀に取り組む母には難解に過ぎる、混乱させるだけだろうと感じて言葉を飲んだ記憶もあります。

それほどに、故人の言葉というのは力を持っていると思うのです。

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