足は第2の心臓⁈ 歩くことと健康の関係

年齢を考えて身体を大事に… その意味は

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70歳あるいは80歳を過ぎた高齢の両親。その健康を守るのに欠かせないのは、足を使い、歩くこと - 私にはそんなイメージがあります。
もちろん、素人考えの先入観に固まってはいけないだろうとは思っていますが、下肢にリュウマチの痛みを訴えて歩くことを拒むようになって、やがて寝たきり同然の生活になっていった父の姿と足の健康が重なっているのです。

両親の健康をまもるには?

そしてそのイメージは、健康管理も含めて、自分のことは自分でやろうとしていた母、あるいはやろうとしている義母を思い出させます。

どんなふうに思い出すのかというと - それは 「痛みが出ないように安静に過ごしてください」という、医師のアドバイス。そして、そのアドバイスをしっかり守らなくてはと自分を縛る母たちの律儀さが、母本人たちにとってはあだになっていないだろうかと感じるです。

父は痛みに弱い人で、痛みを感じている自分を尊重して大事に扱われることを望む人でした(家族に対してはその反対に、「痛い」と言うことも許さないようなところがあったのですが^^;)。だからなおさらのように感じていたのですが、医師のアドバイスを守ろうとするがゆえに「自分は病気なのだ」「動いてはいけないのだ」と自分を縛っているという感じがずっとありました。

痛くて動きたくないと思っていた父には、医師のアドバイスは渡りに船だったのかも知れませんね。

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(c) Can Stock Photo / aletia

上手に身体を動かせる、そんなアドバイスを受けられないものか

リラックスした気持ちで暮らすためには、歩く、散歩するという軽い運動がどれほど役に立つものか、「動いてはいけない」と言われてみるとよく分かります。ごく普通に歩いただけで筋肉や関節が腫れあがってしまうような病状だとすれば安易なことは言えません。

けれど率直に思うのは、普通に歩くのがダメだとすれば、どうすれば歩くことができるのか - たとえば、

  • 温泉プールに入り浮力を活かして関節に負担がかからないようにするといいだろうとか、
  • 以前から歩いていたコースを歩き通すのはちょっと無理かも知れないから、坂のない xxx から帰宅するように、半分の距離からやってみたらどうだろう… とか、
  • 歩いたあと、こんなふうに身体を休めるようにするといいとか、

「歩かない」、「動かない」が前提でないアドバイスをもらうことはできないものだろうか ということ。

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年より扱いされるのが嫌だ! という高齢者本人が、自分から進んで、「自分は動いてはいけない高齢者なのだ」と素直に受け止め、知らず知らずに心を折ってしまうのが「動かないで」「安静に」、そして「やるから無理しなくていいよ」という思いやりのような気がして仕方ないのです。

痛がり・こわがりの父が医師のアドバイスを渡りに船と動かなかったのとはちょっと意味が違うのかも知れません。転倒が骨折につながるようなこともありますし、転んだりしただけでもその回復に思った以上に時間がかかるということもありますから、自分の体力がどれくらいのレベルなのかを知ることはとても大切だろうと思います。

そうした高齢者本人の自覚や注意の仕方といっしょに、もし高齢者本人が意欲を持ち続けようとしているのであれば、その意欲を実現できるようなリードをしてやれないものだろうかと思うのです。

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