ストレスとか緊張 を意識しなくてもからだは反応しているのですね
よく思い出してみると20代の後半から30代に入る前から、この震えの症状はあったように思います。
土木・造園の仕事が原因かと思っていた
最初に震えに気づいたのは、メンバー会員になっていたゴルフコースの受け付けでの署名のときでした。
そのころはゴルフ場のグリーンキープ、つまり芝や植物の世話をはじめとするコース管理の仕事をしていました。
一袋20kg, 30kgという肥料を100袋単位で運んだり、スコップやレーキを使った土の移動やならし・整形。かけや(大型の木槌)やつるはし、チェーンソーを使った土木や排水、造園・山地管理の工事などなど、筋肉を酷使する仕事ばかりの毎日でしたから、文字を書くような細かい仕事はしにくくなったんだろう、くらいに考えていたのです。
震えが症状として強くなったのは不動産取得の手続き
やがて結婚するころには紙やペン、PCを相手にする翻訳の仕事についていました。
結婚式場の見学や予約、契約は自分たちでしましたが、震えを意識することはまったくありませんでした。
転職の時の手続きも、実際の仕事でもです。PCのキーボードに向かって手が震えるようなことはまったくなかったのです。
ものを書くときに手が震える… しかも、手から腕にかけて硬直して手が動かしにくく、字を書くことができない - そんな症状を経験するようになったのは、結婚後数年して、今の住まいを購入しょうと、見学をはじめた頃からでした。
そして、購入を決める書類作成のための説明会を兼ねた申請の日に、書類が書けない‼︎ という症状に襲われたのです。
そしてさまざまな症状
それから数年間、どれが本態性振戦の症状だったろうかと疑問はありますが、振戦(ふるえ)の症状はいろいろな形で現れるようになりました。
中国茶を楽しもうと専門店に言ってみれば、小さな急須、茶碗が出てきて、指先でつまむような感じでした。その手の動きがうまくでず、急須や茶碗を持った右手を左手で支えるような状態でした。
そのころ勤めていた会社では、業務改善に対する表彰制度を持っている会社だったのですが、社員全員が集まって行うその表彰の会で、みんなの前(社長の前)に進み出るとひざがふるえることがありました。
そのふるえとほとんど同じ症状で、朝礼のスピーチに立ったりするとひざがえらくふるえ、支える場所を探すほどということもありました。
社内の事務手続きで必要になる書類にサインをしたり、ハンコを押す、そんな些細な行動のたびにふるえを意識しなくてはならないときがありました。
年末や年始の忘年会や新年会のような集まりでも、小さなゴブレットタイプのグラスに用意された食前酒を取ることができないということもあって、そのころがふるえの症状のピークだったような気がします。
「人前で」というのがひとつのきっかけだったように思います。
心臓がドキドキしたり、めまいがするほど緊張して… というのであれば、症状に対して納得ができそうですが、はじめのころは、ペンやハンコ、グラスを持つ、あるいは持とうとするまで何ともないのです。
それがしだいに、ペンやハンコ、グラスを持たなければならないということを意識するとひじから先に硬直したような緊張を感じてしまう… というような症状になりました。
たぶん、それほどの症状になる前に専門医の診察やアドバイスを受けた方がよかったのでしょうね。
それが専門医の診察を受け、その場で「本態性振戦」という診断をきかされると、腕の緊張を感じることが激減し、ふるえの症状も忘れてた! というようになったのです。
本態性振戦の原因は、まだよく分かっていません。しかし、精神的に緊張すると症状が悪くなることなどから、興奮したときに働く交感神経が関係しているともいわれています。また、家族や親類にも同じように本態性振戦の人がいる場合は家族性振戦ということもあります。
注)本態性:原因不明であることを意味する言葉です。
出典:大日本住友製薬・「本態性振戦の基礎知識」
この説明をもとに「本態性振戦」を直訳? すれば、「原因が特定しきれない・よく分からないふるえ」ということになりますね。
それを裏付けるように、専門医も診断を聞かせてくれるときに言っていました。
「完全には原因をつきとめることは簡単ではないと思うけれど、その必要を感じるようであればさらに大きな病院の設備の整ったところを紹介しましょう」と。
いずれにしても、素人判断はよくないですね。
私の場合は、
本態性振戦では、精神的緊張がふるえをひどくすることがわかっていますので、普段から精神的安静を保つことが大切です。
出典:大日本住友製薬・「本態性振戦の基礎知識」
という言葉とほぼ同じ説明を受診した専門医から受けました。
そして、本態性振戦は震えの(震えだけの)病気だということがすとん! と胸に落ちたときに精神的安静ならぬ安定にたどり着けたように思うのです。