もうひとつの Living Will - 自分が自分でいるということの意味

相手がいるから分かった自分

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結婚生活をはじめようとしたとき、家内とこんなことを話したことがありました。

いつまでも今の自分でいるように
その思いを忘れないように… と。

この先どんなことがあるか分からない。けれど、どんなことがあったとしても、今こうして、二人で暮らしていこうと話し合っている自分でいることを忘れない二人でいよう。

そのときの自分を忘れそうになっていたら、忘れているんじゃないの?! と言い合えるように。
その言葉だけはちゃんと受け止められる自分でいるように… そんな話しをしたのです。

健やかなるときも、
病めるときも、
喜びのときも、
悲しみのときも、
富めるときも、
貧しいときも、

これを愛し、
これを敬い、
これを慰め、
これを助け、

その命ある限り、
真心を尽くすことを誓うか…

私には信仰というものはありません。
けれど、神のまえで誓うという思いを感じながら宣誓したときの言葉を忘れることができません。

その言葉が、二人だけで話し合った「いつも今の自分でいるように」という言葉につながり、重なる誓いのように感じているからです。

その結婚よりも数年さかのぼるころ、私自身が自分の中に見つけた言葉がありました。

あせらず
いつわらず、
背伸びせず

自然な自分、あるがままの自分でいることが何より大切だと思う… そんな意味の言葉です。

正直、謙虚、優しさとか、誠実さとか、厳しさとか - どんな自分だったら自分に満足ができるのだろう、自信が持てるのだろう… そんなことを考えて過ごした末のことだった気がします。

自分ひとりで? 探そうとしていた自分という存在
その自分を確かめることができたのが、「いつも今の自分でいるように」と交わした言葉だった。
そして、「健やかなるときも、病めるときも…」と誓った言葉だったという気がするのです。

自分だけでは分からなかった自分。相手がいてくれたから分かることができた自分だったかな、と思うのです。

自分でいることができるという不思議、そして奇跡

ただ、父や母のせん妄を通して、自分の意思に関わらず、自分が自分でなくなってしまうということがあるのだということを知りました。

そのときは少しも意識していなかったのですが、「いつも今の自分でいるように」という話しや誓いができるのは、健康な精神があればこそだったです。

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だから、もしも「いつも今の自分でいようとする」自分でいることができなくなったとしたら…
自分が相手の思いを守ることができなくなったとしたら…
そんな自分に、どうすればつながっていられるのだろうと相手が思い悩んだり、振り回されてほしくはないと感じたりします。

もしも脳死状態になるようなことがあったとしたら…
もしも延命処置をするかしないかの判断を相手が求められることがあったとしたら…

Living Will を確認できたら… という状況は、自分の意識がある・ないに関わらずやって来ないとも限らない。意識がはっきりしているのに自分じゃない… そんなときにどうしたいか、どうできるか、もう少し考えておきたいと思うのです。

 

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