父を通して見ていたリウマチという病気
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リウマチは遺伝する病気ではない
リウマチと診断された症状で苦しんだ父親を見ながら、これがリウマチなんだと特定することがむずかしいほど、リウマチは色々な原因で発症する病気で、症状も色々だということを学んだのですが…
その頃から何故か、父親がリウマチを病んだ年頃には、自分にも同じような症状が出るのかも知れないなと思うようになっていました。
何故なのでしょうね。遺伝とか体質とかいう、どこかはっきりしない言葉とイメージが先走って、そんなことを感じていたのです。
年1回、いつもの健康診断を受けても、追加料金を払う上に日にちのかかるオプションの検査をしてもらうようになったのは、やはり父親を見ていたからだろうと思います。
恐怖感があったわけではありませんが、もし自分がそうした症状に見舞われたなら、どう対応できるだろうか、それをどこかで見極めておかないといけないだろうなと感じていたのは確かなのです。
ところが、父親の受診に付き添ったりしているうちに分かってきたのは、体質が似るということはあっても、リウマチそのものは遺伝するものではないということでした。
自分の中にある、先入観というか、一種迷信に近いような感覚に囚われていたということが分かって、それが自分でも不思議でした。
医師と薬は信じなくてはだめ!?
父親は病気に対してはちょっと後ろ向きな人でしたから闘病という言葉を使うのはむずかしいような気がするのですが、リウマチという病気に対する私の先入観 - 意識しない恐怖感のようなもの - のもとにあったのは、処方された薬と父親の対応だったような気がします。
父親はある時かなりの高熱を伴う体調不良を起こし、それを境に体に痛みを訴えることが増え、膠原病科の診察を仰ぐことになりました。そして、ステロイド系だという説明とともにある薬を処方されたのです。
ステロイド系だとうことが問題なのではありません。薬はどの薬でもそれこそ「用法用量を守って」、処方のときに受けた説明を守って使うものです。ですから、
- その薬が自分の体に何が起こっていると診断されたのか
- なぜその薬が処方されたのか
- その薬にはどんな副作用があるのか
- その副作用にはどう対処するべきか など
父親も与えられていたはずの説明をしっかり守ればよかったのでしょうが、悪いことに、服用をはじめて間もなく、吐き気をともなう副作用が現れてしまったのです。
リウマチという病気 - というより、その診断 - に少なからずショックを受けていたからか、その薬の副作用のために父親は治療に対する意欲をすっかり削がれてしまったようでした。
「味が飲みにくい」とか「飲んでもそんなに楽にはならない」ということを言って、いつしか薬の服用も止めてしまい、膠原病科の診察を受けることも不定期になってしまったのです。
「良薬は口に苦いものだ! 文句を言わずに言われたように薬を飲め!」^^; そんなことを私たち子どもに向かってよく言っていたように思ったのですが、これもまた、いつの間にか父親は子どものようになってしまっていたのですね。かつての父親のように、飲めない薬も文句を言わずに飲め! などと言う気は毛頭なかったのですが…
恐怖感は知らぬ間に刷り込まれていた!?
父親の症状は悪化してしまったと思うほどのひどさもない代わり、時間の経過とともに少しずつ不自由さが増し、要介護の認定を受けるまでに進行しました。加齢による体力の低下と相乗作用だったでしょう。
考えてみれば、ステロイド系の薬を処方されたということは、症状を抑えることに重点が置かれた処方だったのだろうと思うのです。それだけ父親の訴えた症状は辛いものだったはずなのです。そのせいもあってか、
- リウマチの治療薬のむずかしさ
- 患者にとっての、病状と薬、その両方に対する理解のむずかしさ
- 我慢して放置しておいてよいものではなさそうだという感じ
という、父親を通して見たひとつひとつのことがマイナスのシグナルとなって私の中に堆積していたように感じるのです。その感覚が何となくひとつになって「もしかして自分も経験することになるとしたら… 」という心理になっていたかも知れません。
経験をプラスに活かせるように
そんな気持ちに貼り付いた心配が、遺伝はしないのだという一言で剥がれ落ちたようにわれに返るのですからおかしなものです。
ただ、憑りつかれてしまわずに、過分に将来を心配するのではなく、健康に気を配るという程度の自分になれることが理想だろうと思います。少なくとも、ちょっと残念な私にはマイナスと感じる経験からでも、プラスに活かせることを学び取れたらいいのだがと思うのです。