「利益を目的にしていないか」- その問いにしっかり答えたい

何を目指して、何をするのか - 仕事のはじめにあるもの

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自分たちは仕事として何をしているのか - そんな質問を向けてみても、答えが返ってくることはほとんどない!? それは普通のことなのだろうか?

目の前の仕事に集中しているというべきなのか、仕事を捉える視野が狭まってしまっているというべきなのか。視野を広く高くすることで、目の前の仕事への対応力・質を高めることはできないものだろうか?!
そんなことを感じているとき、どう答えることができるだろうと思う言葉に出会いました。

利益を目的にしていないか

利益の欠如は、資本の食い潰しを意味します。資本が尽きたとき、その組織の生命は終わります。トップも新入社員も臨時社員も全員が、そこに運命を委ねているのです。当たり前のことですが、組織の存続なくして働く場所は維持できません。

その意味で利益は重要なのですが、利益を目的にしてしまうと、働く人々は心穏やかではいられません。利益の分配の多寡を問題視する不毛の問いが顔を出してくるのです。働きがいどころか、不信感漂う職場となることは目に見えて明らかです。「組織の存続に十分かどうか」が、建設的な問いだといえるでしょう。

自分たちが利益を生んでいると考えるのは傲慢です。顧客からもたらされるものです。目標は、利益からスタートするのではなく、顧客に提供できる価値は何かから考えるものなのです。

出典:上田惇生氏 監修/佐藤等氏 編著・「実践するドラッカー【チーム編】

この一節を読んで思い出すのは、もう10年になろうとする時間がたっているのに、記憶にしっかり残っていて、ビジネスにおける今の私たちの立ち居振る舞い、考え方を決めてしまったと感じるリーマンショック。そして、そのあとの1年2年、数年を過ごしてきた私たち自身の仕事の仕方です。

「背に腹は代えられない」とは言いますが、文字通り、存続の危機に直面した私たちは如何に現状を維持するかだけを一生懸命考えていたことを思い出します。

一生懸命考える - その結果、ごく自然に? 利益を目的にする意識ばかりになっていたような気がします。
この一節に語られているように、心穏やかとはほど遠い仕事環境だったことを思い出します。別の言い方をすれば、本来の仕事に集中できるような状況ではなかった。だから、いい仕事ができるはずもなく、いい仕事をしているかどうかという意識さえなくなっていたと思います。

そんな経験を思い出すにつけても、

日常の危機意識を持って、誇りの持てる仕事を顧客に届け続ける

それが仕事だと思わなければいけないのだろうなと思うようになっています。

危機意識はふだんは自分たちのエネルギーになる、あるいは前に進もうというモチベーションになる - 一言で言えば目標ということになるのかも知れませんが、夜空に光る北極星のようなもの - 行くべき方向を確かめるための光 - を忘れずに仕事に取り組みたいと思うのです。

その目標に向かう力を出し続けようとするモチベーションとエネルギーは、もう一つの危機意識 - 足りないという状況に直結するマイナス要因を継続的に観察し、対策する感覚だろうと思うのです。日常的なオフィスライフの中に無理無駄がないか - もしかすると、総務や経理・庶務あるいは人事的な管理感覚でしょうか?

無理無駄を排除する問題意識・改善意識 - 倹約・節約と、必要なバッファ(余裕)を維持するもの。この一節に語られている「組織の存続に十分かどうか」を見極める目ということになるかも知れません。

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話しが飛躍するように聞こえるかも知れませんが、こうして考えていると、会社組織も生き物なんだなと感じます。私たちというが作っているものですから生きているのは当然なのでしょう。

けれど、健康に留意し、仕事を続けられるように。そして、家族を養うとか家族として生活するという感覚 - もしかすると、万一のときの Living Will さえ意識することを忘れない。そういう普段の暮らしと重なるような気がするのです。

いいえ。もしかすると、普段の暮らしと重ねて過ごすべきなのかも知れません。

 

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